会社を休んでチベットへ行こう (15)

旅行4日目 チベット料理以外を求めて

午後4時ごろ、ラサ市に到着。宿泊するホテルが市内への入口から最も近い場所にある僕が、最初に下車。その際、ハンジョウから、19時頃フロントのロビーで待っているように言われたため、それまでの間、晩飯を食べに出かけることにした。

チベット料理に対して食傷気味だったことに加え、久しぶりに西洋料理を食べたい衝動に駆られ、ガイドブックを開いてみると、ヤクホテルの隣に、ポーランド人が経営するイタリア料理店があると書いてある。そこで、早速タクシーで向かうと、あいにく休業期間中。一度西洋料理を食べると決めたからにはどうしてもと、バルコルの中に入っていき、昨日ハンジョウに教えてもらった有名レストラン「Makye Ame Restaurant」に行ったが、これまた休業期間中。こうなると、いよいよ西洋料理を食べたくなってくる。

昨日ジョカン観光の際に利用した駐車場近くに西洋料理店が複数あったことを思い出し、まずは駐車場からジョカンに向かって右手遠方に位置する西洋風の喫茶店「Barkhor Cafe」に行ってみた。しかし、遠目でもシャッターが閉まっていることを確認でき、近づくまでもなく休業中であることが分かった。続いて、「Tibetan Western Chinese」というお洒落なレストランを目指して、駐車場の向かいのビルに入り、3階にあるはずの入口を散々探した挙句、ようやく店までたどり着くと、昨日は外側から店内の客を確認できたのに、今日は運悪く改装中。打ちひしがれて建物の外に出ると、チベット人少女が大変上手な踊りを披露していたが、それを楽しむ余裕もない。

ガイドブックで紹介されている西洋料理店のレパートリーも数少なくなってきた中、次に「Tashi 1 Restaurant」という料理店を目指すことにした。通りに沿ってわんさか並ぶ中華料理店やチベット料理店には目もくれず、またもやバルコルに入って行く。通りに露店がひしめきあって、ものすごく混雑しているのは、その日が土曜日だからであって、2月14日のバレンタインだからではない。通りを歩いてもなかなか前に進まないので露店の裏側を歩くが、道端に捨てられた大量のゴミが目に付いて大変汚い。

「西蔵電公(おそらくチベット電力会社の意)」という標識が立つ交差点の角に、ようやくその店を見つけることができた。店の看板が立てられている建物の入口に立つと、2階に上がっていく階段は真っ暗だ。「この店もダメか」と思っていた矢先、露店で油を売っていた店員が、客の僕を察知して、ささっと2階に上がっていき、手招きをする。これでようやく西洋料理にありつける。細い階段を上がって右に曲がると、左手に厨房があり、右手には12畳ほどの室内に2組の客がいた。客の1組は現地人のようで、チェスのようなテーブルゲームに興じていた。もう1組は、男女のバックパッカー。英語で交わす会話からは、男性が中国人、女性がドイツ人で、両者がチベットで知り合った仲であることが知れた。

奥まった位置にある広めのテーブルに着く。メニューは意外と豊富で、その中から思わずピザを注文しようとしたが、料理内容の説明文に「ヤク・チーズ」の表記を発見したため、ここまでの苦労の意味を考えて、却下する。結局、肉入りのボビ(具を小麦粉の皮でくるんだ料理)を頼んで、くつろぐ。が、ふと、その肉もヤクの肉なのではと、急いで調理場に駆け込み、鶏肉のボビに変更してもらった。鳥インフルエンザが気にはなったが、さすがに広州からチベットまで蔓延していることはないだろう。

出てきた料理は、皮が厚ぼったく、味はまぁまぁ。あまり西洋料理の感じはしない。『砂の器』を読みながら食べ終えて、店を出ると外はまだ明るかった。界隈を散策してタクシーを拾う。ホテルに帰る途中に何気なく外を眺めていると、重要な事業を営む会社の近くには、必ずといっていいほど規制当局の建物があることに気づいた。つまりテレビ局の近くには逓信省があり、郵便局の近くには郵政省があるといった具合である。表現の自由は無言の抑圧を受けている。

ホテルに着き、部屋でうたた寝していると、ハンジョウの旅行会社の者だと称する中国人から、あなたは明日帰国するのかと、電話がかかってきた。後でハンジョウに確認できるよう、その人の名を教えてもらい、そうだと答えると、オッケーの言葉を残して、電話が切れた。チケットは間違いなく手配されているのか、かなり不安になってくる。

約束通り19時にロビーに行くと、間もなくハンジョウがやって来て、翌日7時前に迎えに来るといい、チケットをくれた。さきほどの電話の件とその主の名を伝えたところ、ハンジョウの職場の同僚で問題ないらしい。明日のチケットも入手できたので、これ以上の心配は無用と判断した。

ロビーのソファに腰掛けながら、彼の住所やメールアドレスの他、彼の兄の勤務先等を教えてもらった。メールは英語で構わないとのこと。ただし添付ファイルを開けてもらえる確信を持てなかったので、デジカメで撮影した写真は、帰国後現像して郵送すると伝えた。

こうした事務的なやりとりの末、親身なガイドに出会えて本当によかったと何度も伝えておいた。その後、会話は途切れ、沈黙のまま、しばらくソファに並んで座っていたのだが、ハンジョウは一向に立ち去る気配がない。まさかハンジョウがチップをねだっているわけでもないだろうにと思い始めたところで、ようやく彼は立ち上がり、帰って行った。

独りホテルに残されると、ロビーが薄暗いせいもあってもの悲しい。部屋に戻り、その夜は順調にシャワーを浴びると、翌朝ドタバタしなくてすむよう、荷物を全て整理してから就寝した。