会社を休んでチベットへ行こう (16)

旅行5日目 ラサを発つ

翌朝は少し寝坊してしまった。購入したまま台の上に放置していたビールを開け、記念にと少しだけ口をつけた後に残りを洗面所に流す。服を着替え、顔を洗っていたら、約束の時間にハンジョウから電話がかかってきたので、これから向かうと伝え、引き続き支度をする。ロビーに出て行くと、ハンジョウとラッパが待っていた。昨日の名残惜しさをいささかも感じさせることなく、極めてビジネスライクにてきぱきとチェックアウトを済ませ、車に乗り込み、空港へと向かった。外はまだ暗い。

町を抜けると、まるで3次元の空間で座標を失ってしまったような、とんでもない暗闇だった。車のライトとそれによって照らし出される限りの道を手がかりに、前に進んで行く。遙か後方に車が来ると、そのライトのおかげで、辛うじて自分の車の相対的な位置を把握できる。そしてその車が自分たちの車に追いつき、追い越し、姿が見えなくなると、再び暗闇が訪れる。

そのうち、巨大な手が天から地に伸びて来て緞帳を捲し上げるかのように、徐々に山々が姿を現してきた。日本の東京の三軒茶屋付近の田園都市線でラッシュに揉まれているちょうど同じ時間に、アジア大陸の山々に囲まれたこの高地が、雄大な静寂の闇に包まれていることを体感し、非常に感慨深い。

やはり1時間ほどして空港に到着し、車から降りると、その後ろからハンジョウがカータを手にしてやって来た。送別の意味だろうが、これでついに4本目。そろそろありがたみも薄れてくる。空港に入り、飛行機の時間を確認して、空港税支払証明書を購入すると、ラッパとハンジョウがそそくさと検査場に向かって行くので、彼らを呼び止め、「いいですか、中国の空港では4つのものが必要です。それは・・・」と教えてやり、ボーディングパスを取得してから、改めて検査場に向かった。

無事にゲートまでたどり着くと、運行状況を知らせるテレビ画面には「遅延」という文字と、出発予定時刻として、当初より2時間後の時間が表示されている。まぁそんなことだろうと斜に構えて、ゲートの近くにあるレストランで朝食(昼食か)を採ることにした。厨房はガラス張りで、内部は大変清潔。メニューはバイキング形式で、厨房と食堂の境界に料理が並べられている。その内容は中華とコンチネンタルの折衷だ。さして食欲をそそるものもなく、オレンジジュースを飲むことにしたのだが、どういうわけかミキサーボックスの中に入っていたオレンジジュースは温められていた。これでいよいよ口にするものがなくなった。

本を読みながら、時々運行状況を知らせるテレビに目をやると、いつの間にか出発予定時刻がさらに1時間遅延しているのを発見し、さすがに辟易してきた。が、どうしようもない。読書をしながら我慢強く待っていると、ようやく機体がやって来た。

乗客の多くは肌の浅黒いチベット系の人々だが、深緑色の公安警察の制服を来た人も割と目に付く。制服を着た人間は、そのビヘイビアを基準に、2つの人種への大別が可能だ。1つは、列に並ぶにも規律正しく、背筋を伸ばして姿勢もよく、いかにも公務員といった感じの人種。この人種は顔立ちもスマートで、割とかっこいい。もう1つは、公務員であることを笠に着て偉そうにし、機内でも迷惑を顧みずに目一杯リクライニングするような横柄な人種。この人種は大抵見た目もいけてない。

当初の予定は予定通り狂い、成都に着いたのは午後に入ってからとなった。空港で待っていたのは、成都に来たときと同じガイド。結局、彼らには、往路・復路とも待ちぼうけを喰らわせてしまうことになった。往路で宿泊したのと同じホテルに到着すると、やはり往路で宿泊したのと同じ部屋を宛がわれそうになったため、その部屋の風呂が壊れていることを説明して、別の部屋に変えてもらった。