会社を休んでチベットへ行こう (13)

旅行3日目 ラサの夜

ホテルのロビーに着くと、ハンジョウが会社に電話をし、その結果、明日のヤムドク湖は200元(=3,000円)でもいいか、と聞いてきた。もちろんオッケーと言い、明日9時20分にロビーで会うことを約すと、朝食を一人で摂れるように朝食券をフロントでもらってくれた。

ハンジョウが帰ろうとしたとき、昨夜部屋の中がかなり寒かったことを思い出し、せめて暖房が入るように伝えてくれとお願いすると、ハンジョウがフロントの人間に掛け合ってくれた。しかし、この時期は閑散期なので、暖房は入れていないとのこと。暖房を入れるか否かは、閑散期か繁忙期かではなく、寒いか暖かいかによって決せられるべきである。繁忙期こそ夏の暖かい時期なのだから暖房は要らないだろう。今朝は、あまりの寒さに頭痛がし、高山病なのか風邪なのか分からぬまま、観光に先立ってバファリンを服用してきたほどである。そこで、改めて夜の寒さを訴えると、それならばとスチームヒーターのようなものを部屋に入れてくれた。焼け石に水ならぬ凍え石にぬるま湯といった具合だが、枯れ木も山の賑わいということか。

その時分ではまだ日は明るく、日本の感覚で14時くらいの感じだったので、おそらくチベット時間では17時くらいだっただろう。一人になった僕は、まず最初に首に巻いてあるカータを外してベッドに放り投げ、それから今日飲み干してしまった飲料水を調達すべく、再びホテルの並びにある個人商店に行った。時間があるので店内を隈なく見て回ると、飲料水の他にも、ビールその他の酒、つまみ、菓子、果てには雑貨等、色んなものが売っている。高山病対策として酒とタバコは喫しないよう、どのガイドブックにも同じことが書かれていたのだが、ビールぐらいならと思い、緑色の缶のラサビールと金色の缶のラサビールをカゴに入れた。自分としては、一番絞りとエビスを購入したつもりでいる。さらに、つまみを買おうと向かいの棚で品選びを始めたのだが、こちらは食指が伸びそうな食べ物がない。数人で棚卸をやっている少女の店員に「おいしい?」とか「popular?」と手を変え品を変え尋ねたものの、くすくす笑われるだけで埒が明かないので、やむなく無難にピーナッツをカゴに追加した。もちろん水も入れた上で、勘定を済ませ、店を出た。

それらの品々をホテルに持ち帰り、晩飯を食べに再度外出した。チベット料理に飽きてきた僕は、手軽な中華料理の店を探して散々歩き回り、ポタラ宮の方角に向かってかなり行った所で、野菜をふんだんに使った健康中華というのが売りの店を見つけた。この店を紹介した雑誌の切り抜きが窓に貼ってあるのがいかにも日本的で親近感を覚え、その店に決めた。店内は社員食堂のように殺風景で、照明も点いていないため薄暗い。

さきほどホテルに戻ったときに持ち出してきた『砂の器』の続きを読むため、窓際に近い席に座り、広州炒飯と菜包(だったと思う)を頼んだ。広州炒飯は、私が勤める会社の社員食堂に出てくるピラフより油っこく、全部食べ切れなかった。菜包とは、韮とか菜っ葉をすり潰したものが入った饅頭のようなもので、頑張って全部食べた。結論としては、失敗である。ただ、ご多分にもれず、安かった。

ホテルに帰る途中、先ほどの個人商店とは別のもっと大きな商店が、ホテルから見て個人商店とは逆側(ポタラ宮側)にあるのを見つけ、興味本位で入ってみた。日本のスーパーとコンビニの中間くらいの規模で、品数はかなりのものだ。しかし、さして買うものも見当たらず、結局スプライトとオレンジジュースを買うにとどまった。

部屋に着いたのは19時くらいである。やはり寒い。早速スチームヒーターを入れ、風呂に入ろうと蛇口を捻ったのだが、なかなかお湯が出てこない。実は、昨夜は昨夜で、風呂に入るとき、「hot」とある方に蛇口を回して相当待ったのだが湯が出てこなかったため、脱いだ服を着直し、フロントの人を呼びに行くというトラブルがあった。その男は、何でこんなことでオレを呼ぶんだという顔をしながら、蛇口を「cold」の方に回し、お湯が出てきたことを確かめて、何事もなかったように帰って行ったのだった。今回はちゃんと「cold」に捻ってある。が、それでも湯は出てこない。ひょっとしてやっぱり正しくは「hot」なのではないかと、「hot」に捻ったり「cold」に捻ったりしてひたすら湯が出てくるのを待つのだが、いつまで経っても出てこない。オレは裸で何をやってんだろう、という気にもなったが、きっと給湯器から部屋までの配管が長いので、湯が出てくるまで時間がかかるのだろうと、辛抱して待つ。あと少し掘れば、徳川の財宝に行き着くんじゃないかと、辛抱して掘るのと似たような心境だ。それでも湯は出てこない。

風呂に入るつもりで既に服を脱いでいた僕は、スチームヒーターの前で暖ともいえぬ暖を取り、時折風呂に戻って手をかざすのだが、やはり冷たい。いっそのこと、水浴びしようかとも思ったが、おそらく2分とは持つまいと思い直した。下手にそんなことをすると、シャンプーか石鹸がついたまま、いったん風呂からあがるという惨事になりかねない。そのうち、濁水が出てきた。このままでは本当に風邪を引くと思った僕は、昨夜に引き続きその夜も、脱いだ服を着てフロントまで行った。事情を話すと、英語で帰ってきた答えは、20時になるまで湯は炊かないとのこと。おいおい、寒くてスチームヒーターを入れてくれと頼むような客なんだから、最初に言ってくれよ。

結局、21時ごろになってようやく湯が出た。その間、せっかく買ってきたビールを呑む気にはさらさらなれず、言葉が通じないテレビを延々と見ていた。中には重複する番組もあるものの、こんな僻地で思いもよらず、チャンネル数は60くらいある。ニュースの他、クイズ番組、時代劇(ただし、場所柄か、孫悟空のような演出だった)、アメリカの番組等をやっていて、この点では日本と変わりがなかったが、1点特筆すべきは「軍事報道」なる番組があったことだ。どこの都市にどういう類の人民解放軍が配備されているかを解説したり、彼らの活動を特集したり、軍の幹部に取材等を行っている。暗闇に奇襲をかけて密売人を摘発するといった、若干警察と軍隊の境目が判然としないシーンもあったが、言葉は分からなくても、こればかりは楽しめた。しかし、軍事情報を中国のような国がオープンにするとは考えにくい。ひょっとして、この番組は情報操作・撹乱を目的としたものかもしれない。

ただ、そんな勘繰りも湯が出た喜びでどうでもよくなった。風呂に入った僕は、寒くて起きた場合に備えて、ジャンパーを隣のベッド(旅行中、部屋は全てツインだったのである)に置き、『砂の器』を読んで寝た。高山病対策として酸素を取り入れやすくするよう、昨晩は鼻にブリーズライトを貼って寝たのだが、むず痒くなる割には効果が確かでないため、その夜は用いなかった。その結果、ブリーズライトを貼っていようがいまいが、何も変りがないことが翌朝判明した。