会社を休んでチベットへ行こう (10)

旅行3日目 昼食

外に出るとまたもや例の子供たちがやって来たが、難なくかわし、集会場を後にした我々は、参道の入口付近にあるレストランに向かうべく、さらに参道を下って行った。途中、僧侶の住居らしき建物を見るべく、参道の右手の壁を入ると、そこに奇妙な集団が拝観していた。身に纏った衣服は一見汚らしいのだが、よく見ると綺麗で、子供たちの鼻の頭には墨が塗られており、大人の男性はエスパー伊藤のような髪型をし、大人の女性だけはまともである。

僕からの質問を待つことなく、ハンジョウが彼らを解説してくれた。曰く、彼らは、ラサ市の北方約350キロに位置する「アムド」と呼ばれる土地からやってきた巡礼者であり、とにかく巡礼が大好きとのこと。ラサまでのその距離を徒歩でやって来るアムド人もいるらしく、旅中では民族工芸品を販売して、旅費を稼いでいるのだそうだ。あまりの珍妙さにしばらく見とれていたのだが、ハンジョウに促されて、参道に戻った。参道の一角にマニ車が正方形にいくつも並べられており、そこでも、後ろから来るおばさんに追い立てられながら、一周して回しておいた。その後は首尾よくラッパの運転するランクルに乗車し、レストランに向かった。

レストランは、暗くてだだっ広い平屋の建物である。食事は、屋内でも可能だが、建物の裏に公園のような庭があり、そこに幾つものテーブルと椅子が置かれていて、そこでも食べられる。ラッパを含む3人がテーブルの1つに陣取ると、ラッパとハンジョウが昼食を買いに行ってくれた。僕は席番だ。

間もなくして、貧相な身なりの子供が物乞いにやって来た。このセラ寺は出入りが容易なせいか、こうした子供が実に多い。どんなに冷たくあしらっても一向に立ち去る気配がないため、周りに似たような子供がいないことを確認し、実用上あまり使い道のない補助通貨をあげると、すぐに立ち去って行った。この補助通貨は携帯電話ほどの大きさであり、逆に、今は流通していないチベットの通貨は、A5版程に大きい。

そのうち、2人がヤクの肉入りうどんとバター茶を持って帰って来るのを見て、またかと、一気に食欲がなくなった。できればヤクの肉の匂いが一番しないやつをと思い、ハンジョウの手にするお盆から、肉の一番少なそうなうどんを取ろうとすると、気を利かしてか、ハンジョウが「これをどうぞ」と言って、一番肉の多いうどんをくれた。全然うれしくない。

バター茶を飲み、3人で談笑しながら(と言っても、ラッパは「笑」っているだけ)、食事を始めると、さきほどの子供が、今度は仲間を連れて戻ってきた。後悔先に立たず。最初のうちは、ハンジョウがチベット語で追い払おうとしていたが、意外にあっさりと諦め、お金を渡して彼女たちを立ち去らせた。日本にもこうした子供たちが多いのかとハンジョウが尋ねてきたので、いないと答えると、彼はびっくりし、わざわざチベット語に翻訳して、その旨をラッパに伝えていた。それまで僕の言葉をその場でハンジョウがラッパに翻訳して伝えたことはなかったので、彼の驚きぶりがよく分かる。その後、チベットの景気が中国人がやって来てから随分悪くなったと、深刻な表情をしたハンジョウが教えてくれた。また、ここでもチベットガイドの失業の話を聞かされた。一体中国はチベットにどんな恩恵をもたらしているというのだろうか。

改めて食事を開始すると、今度は刃渡り30センチ、幅5センチくらいのとてつもない刃物を持った男が2人やって来た。宮沢賢治よろしく来客の多い料理店である。たかだかうどんなのに、これでは落ち着いて食事もできない。彼らのうちの1人が、刃物を鞘から抜き出し、ハンジョウに何か喋り出す。何度も子供たちに金を渡すところを見て、たかりに来たのかと思い固唾を呑んでいたのだが、なぜかこの危機的状況において、この珍客に接するハンジョウの表情は友好的だ。何だかよく分からないまましばらく見守っていると、そのうち、ハンジョウが僕に、彼らは(エスパー伊藤のような髪型はしていないが)アムド人であり、この刃物を売りに来ていることを教えてくれた。しかし、そんなものを買ったところで、空港で捕まるか没収されるのがオチであり、いずれにせよ日本に持って帰れないのは目に見えている。ガイドなら普通それくらい分かるだろうと思いながら、日本に持ち帰れないことを、方便ではなく確たる理由に、断った。

その後はようやく誰にも邪魔されることなく食事を続行した。ハンジョウは「どうぞ、どうぞ」と言いながら、僕のバター茶の上で指を鳴らすようにちりをはたいて、しつこくバター茶を勧めてくる。いったんヤクの肉をうどんの汁の中に押し込み、浮力で浮いてきた肉だけを食べ、沈んだ肉は汁に隠して、食事を終えた。気遣いもここまでくればペテンだが、何しろズボンのポケットに常備している水が一番おいしい。裏庭の端にあるトイレで用を済ませ、車に乗った後、次はジョカン(大昭寺)に向かった。