会社を休んでチベットへ行こう (7)

旅行3日目 ポタラ宮 (その1)

チベットに着いた翌日、すなわち日本を出て3日目の9時頃、ロビーでハンジョウとラッパを迎えた。ハッパはいない。彼とはその後も出会うことはなかった。3人は朝食をとるべく、早速ホテルの奥にあるレストランに向かった。レストランは、自分の泊まっている建物とは別棟であり、その間を渡り廊下が繋いでいる。本来ならおそらく朝の6時ごろだろう、暖房が入っていないこともあり、廊下はかなり冷えていた。渡り廊下の両側は全面窓ガラスになっており、その外側に広がる水も草木もないが立派な庭園が見える。聞くと、ここは、要人が宿泊する由緒あるホテルらしい。旅行鞄に詰めたサンダルが不憫に思えてくる。

レストランに入ると、そこは宮廷のようだった。天井は高く、席の間隔も広い。果物が積み上げられたテーブルが所々に置いてあり、壁には大きくてしっかりした絵画も飾ってあったように思う。給仕が10名ほど1列に並んでいるが、客は一人もいない。自分一人のためにこんなシチュエーションを誂えてくれるとは、と背筋を伸ばしていたら、実は我々はここではなく、廊下を隔てた向かいの個室だということであった。廊下沿いに個室がいくつか並んでいる中、どうやら韓国人らしい一行が円卓を囲んでいるのが見え、自分の他に宿泊客がいたことを知った次第だが、さすれば、果たしてさきほどのレストランには一体誰がやって来るのかと、好奇心を掻き立てられた。

3人が静寂な円卓に座ると、ホテルの者が気を利かしてか、日本語の音楽をかけてくれた。歌い手はチベット人のようで、「さよ~な~ら~♪」と歌っている。「昨日来たばっかりやっ」と突っ込む相手もなく、黙って座っていると、ハンジョウが、10分後には出ますから急いで食べてください、と言う。「料理がまだ来てないっちゅうねん」とやはり突っ込む相手もない。しばらくして給仕がバター茶を持ってきた。今度のバター茶は塩っぽくなく、甘みがあっておいしい。口を付けると「さっ、どうぞ」と言って、やはりハンジョウのバター茶攻めを喰らうことになった。

朝食は、お粥、蒸かした白いパン、そして珍味。この珍味は、一見チャーシューのようだったので、一気に頬張ったのだが、食べたことのない辛いような酸っぱいようなとにかく濃い味がする。飲み干そうにも水がなく、バター茶では代わりにならないので、時間をかけて食べ切ると、もはやその段階で食欲を失った。期せずして10分で食事を済ませた自分は、さらにバター茶を注ごうとするハンジョウを促し、サスの効かないランクルにやられないよう小用を足し、まずはポタラ宮に向かった。

ポタラ宮に向かって左側にある門にて、警備の者から100元で入場券を購入する。その後、門を潜った車は、急な坂を登って行った。両側はポタラの白い壁が連なっているため、折からの寒さもあって、まるで雪道を進んでいるような錯覚を覚える。しばらくすると、車数台分くらいの広さの駐車場が現れ、そこからは緩やかな階段状の坂を、ハンジョウと二人で徒歩で上がって行った。階段からは手前にゾンキョ・ルカンという公園が見え、その向こうを麓に霧と町を従えて壁のように立つ山が視界を区切っている。景色がすばらしい。

入口に立つ男に入場券を見せ、さらに歩を進めると、2本の城塔の間から月が姿を見せていて、まるでヨーロッパの城を巡っているようである。ようやく古めかしい建物の中に入ると、我々の目の前に現れたのは、左手を壁に遮られた暗くて細長い空間である。よく目を凝らすと、右手のフェンス越しの闇の中に、バターで作られた蝋燭の明かりに照らし出された幾つもの仏体が、こちらを見つめている。チベット仏教はインド直伝のれっきとした大乗仏教なのだが、あたかも密教の聖地に足を踏み入れたような感覚に襲われた。

その空間を出ると、今度は、やはり薄暗い大きな広間が出てきた。右手の中央に巨大な玉座が置いてある。その玉座の背後には、壁で仕切られたやはり細長い空間があり、中に入ると、先程と同様に幾つもの仏体や霊塔が鎮座しているのだが、そのうちの1つに巨大な黄金の霊塔がある。これが世界無二荘厳と言われるダライ・ラマ5世の霊塔だ。ものの本によると、高さは約17メートル、使用された黄金は約5トン、宝石は約1,500個。通常の大地にあるならまだしも、こうした宝飾の数々が6,000~8,000メートル級の山々に囲まれたチベットまで運ばれてきたことを思うと、宗教という権力に戦慄すら覚える。

やがてさきほどの広間に戻ると、ようやく目が暗闇に慣れてきたせいか、実は色褪せた壁画が周囲を覆っていることに気が付いた。ポタラ宮の建築の過程等々がモチーフらしい。その後、急峻な木造の階段を上ると、突如中庭を囲む回廊に出た。そこには観るべきものがないらしく、その足でもう一度階段を上がり、第3層にやって来た。回廊を取り巻くようにして幾つもの部屋が並んでおり、順番に入って行く。

まずは、3千数体もの仏体が置いてある「金剛仏像殿」に入り、次に「法王洞」と呼ばれるポタラ宮に最初に造られたお堂に入った。このお堂は、6世紀頃の人物であるソンツェン・ガムポ王が瞑想したと言われるほどの古いもので、石の中を刳り抜いたような狭くてひんやりとする空間に、所狭しではあるが整然と仏体が並んでいる。中でも目を引くのが真ん中にあるソンツェン・ガムポ王の像で、どういう訳か、頭の上にもう一つ小さい顔が生えるように付いている。全体的に、信者に埋め尽くされつつも、静寂でありながら凛とした雰囲気が感じられる点は、イタリアのシスティーナ礼拝堂を彷彿させた。

そういえば、宮殿全体にチベット人が満ちているが、とても100元を支払える財力があるとは思えない風体の輩も多い。すると、ハンジョウが、チベット人の入場料は、たったの1元であることを教えてもらった。この場に件の英国夫婦が居たら、さぞかしうるさいことになっていたであろう。

その後、文物が陳列された部屋は、有料(10元)ということもあって通り過ぎ、その隣の部屋でダライ・ラマ8世の玉座を、さらにその隣の部屋ではダライ・ラマ7世の玉座を見た。総じて玉座は、どれも大人の肩くらいの高さに聖人が座するように作られており、自分の横でハンジョウは、そのそれぞれにお祈りを捧げた後、座の下部に頭を当てる仕草をしている。彼に勧められ、自分もやってみた。

同じく第3層の最後の部屋に「時輪殿」というのがあった。ここには、多くのトルコ石を付けた巨大な立体曼荼羅(神輿のようなもの)が部屋の中央に設えてあり、その周囲を無数の仏体が取り囲んでいる。曼荼羅とそれら仏体の間の通路をぐるりと一周すると、最後に、インドの神様である「シュリデヴィ」の像があった。この神は、鉢巻状に雷太鼓のようなものを6、7個頭に付け、口を大きく開けた馬に跨る格好をしており、色使いがはっきりした塗料を使っているせいもあってか、躍動感が溢れている。

その部屋を出て、『地球の歩き方』を見てみると、先程の立体曼荼羅を紹介している筈の写真に、全く別の曼荼羅が写っていた。ハンジョウに聞くと、しばしば中国人ガイドが知ったかぶって出鱈目なことを言うので、その話を鵜呑みにした編纂者が勘違いをしたのだろう、とのこと。こうしたことはよくあるらしい。ちなみに、ハンジョウは、僕が宮内で『地球の歩き方』を読むことを非常に嫌がっていた。最初は、ガイドとして信用されていないと思われるのが嫌なのかと勘繰っていたのだが、その後、彼の口から、ここは神聖な場所なので、できるだけガイドブックは広げて欲しくないという真意を聞いた。なるほど、そういうものかもしれないとは思いながらも、一回の観覧でどの部屋に何があったかを覚え切れる訳がないので、人がいない頃を見計らっては、ハンジョウの許しを得てガイドブックを開け、メモを加筆していた次第である。

次に我々は、回廊の中央に建つ大きな休憩室のような所(『地球の歩き方』には、現に休憩室と紹介されている)にやって来た。本来観光客の立ち入りが禁止されているここは、チベット政府とダライ・ラマが会談をする際に使用される会場だそうで、ハンジョウが係りの者に頼み込んで入れさせてもらったのである。中は縦長の空間で、外光を採り入れているため明るい。部屋の周囲に壁と一体になったベンチ状の椅子があり、その前にちょっとしたテーブルが、椅子と平行して並べられている。ハンジョウが、記念と称してダライ・ラマが座ると思しき席に腰掛けたので、自分も彼を押しのけるようにしてそこに座ってみた。結果として、だだっ広い空間の片隅で、二人は膝をくっ付けるほどに寄り添いながら5分ほど一緒に座ることとなった。