会社を休んでチベットへ行こう (6)

旅行2日目 ガイド宅訪問

14時過ぎにハッパとラッパがホテルのロビーにやって来た。近くにおいしいラーメンの店があると言ってホテルの斜め向かいにある店に連れて行ってくれた。照明が薄暗い店の奥で注文を済ませると、しばらくして料理が運ばれて来た。ラーメンというよりは塩っぽい汁そばという方が近い。肉はヤクで、味はまあまあ。値段を聞くと三人前で300円というので、僕がご馳走することにした。食事中、ラッパが『地球の歩き方』を熱心に読んでいた。

食後ホテルに帰ると、ハッパが「これからもう一人ガイドが来る」という。果たして3人もガイドが必要なのかと思いながら待っていると、たしかにやって来た。バスを降りて自分の前にやって来ると、姿勢を正してお辞儀をしながら、日本語で「ハンジョウといいます。チベットへようこそいらっしゃいました」という。聞くと、この人が本来のガイドらしい。偶々その日、彼の出身地のギャンツェ(ラサの西南約260キロ)から初めて母が遊びにやって来るのを迎えに行っていたので、それまでの間代わりにハッパが対応していたとのこと。どおりで車内で旅程を詰めるのにすったもんだしたわけだ。

彼は、早速ホテルのロビーで、自分のパスポートと入境許可証を提示しながらチェックインの手続きを済ませた後「今晩夕食をご一緒しましょう」という。昼も夜もチベット人と一緒はちょいときついなと思い、躊躇していると「あなたを夕食に連れて行くと、会社から私にお金が出ます」と迫る。こんなことを客に言うのもどうかと思ったのだが、事前に旅行会社から「ガイドと親しくしておくといいことがありますよ」と言われていたのを思い出し、19時ごろにホテルのロビーで待ち合わせることを了解した。ただし高い料金はダメですよ、と念を押しておく。

彼らが帰った後、またもや時間が空いたのでポタラ宮を観に行くことにした。ポタラ宮までは約2キロ。恐る恐るタクシーをつかまえて、「ポタラゴン」と言うとあっさり通じた。降りるとき、タクシー代がいくらか分からないのでとりあえず10元(約150円)を渡すと、多いとも少ないとも言わない。市内であればどこに行っても10元が相場だったということを、後で知った。

ポタラ宮内は人が少なく、閑散とする中をうろついていると、ネパールから陸路でやってきたという英国夫婦に、拝観料はいくらか知っているかと聞かれた。知らないというと、お前のガイドブックには何て書いてあるのかと言う。『地球の歩き方』で調べている間、その夫婦は、どの寺に行っても高い拝観料を払わされると不平不満を言っていたが、本には100元(=約1,500円)と書いてあると教えてやると、一層不満そうな顔をし、男性の方が拝観しないと言い出した。チベットまでやって来て、ここ一番の観光スポットを、たかだか1,500円で止めるか?と思いながらも、「確かに高いので、自分もどうしようか思い悩んでいる」等と適当に相槌を打って、別れた。

ポタラ宮には翌日改めて来る予定なので、早々と切り上げ、ポタラ宮の前の北京中路という通りをほっつき歩き、ぶらりとその辺の店に入って辛い中華料理を食べたり、喫茶店でコーヒーとクッキーを食べながら『項羽と劉邦』を読んだりし、再びタクシーでホテルに帰った。帰りは、行きとは違って運転手にホテル名を言ったところで目的地が伝わらないため、道を指で示さなければならないなど、若干難儀した。高度が高いせいかすぐに疲労が溜まる。ホテルの部屋に帰ってから横になった。

19時にロビーに行くと、少ししてハンジョウがやって来た。2月なのに、19時でも外はかなり明るい。経度的には、おそらく本来は16時くらいなのだろうが、ラサの標準時間は経度を無視して北京と同じに設定されているため、こういう現象が起きる。いかにも中央集権的発想だ。

二人でバスに乗り、ホテルから見てポタラ宮の向こう側まで向かった。バス代は乗車時に運転席の後ろに座っている人に渡すのだが、1人2元(約30円)だったため、ここでも二人分を支払うこととした。バスから降りた所は雑然とした地区であった。自分のホテルはいわゆる漢族エリアにあるのに対し、こちらはいわゆるチベット族エリアである。バックパッカーが多く宿泊することで有名なヤクホテルもある。そんな街中を行くと、すぐに古くて暗い建物にやってきた。そこはチベット人専用のホテルだそうだ。そして、その奥にある汚い4階建ての団地のような建物に向かって歩き出す。どこに行くのかと尋ねると、自分の家だという。そこで晩御飯をご馳走してくれるというのだ。てっきり夕食は有料かと思っていたので、びっくりしてお礼を言うと、会社からお金が出るので問題ない、そもそもガイドたるもの、客から金を受け取ったり、便宜を図られたりしてはいけないと説き出した。その上で、ラッパとハッパが昼食を奢ってもらったそうだが、本来それはあるまじき行為だと非難した。彼自身、さっきバス代を出してもらったことは、全く覚えてなさそうである。

マンションの部屋に入ると、そこには、老婆に加え、若い女性が2名と3才の男の子が居た。この老婆こそが、ハンジョウが迎えに行った彼の母親である。「私もラサは初めてですから、同じですね」などと言いながら、促されて席に着くと、早速女性の一人がバター茶を出してくれた。ヤクの乳で作ったバターをお湯に溶かし、塩を入れて味をつけたものである。初めて飲むバター茶はしょっぱく、名を思い出せないが何かの酒に似た味がする。あまりおいしくはないが、少し口を付けると、すぐさま注いでくれるので、一向に量が減らない。飲まずにいると、飲むように勧められる。

そのうち料理が運ばれてきた。1品目が何だったか思い出せないが、2品目は蒸かしたじゃがいもだった。これに辛子明太子のようなものを付けて食べる。3品目はヤクの乳で作ったクッキー。白色と茶色の2種類あるが、ともに同じ味で、甘みは全くない。そして最後にヤクの肉が入ったうどん。チベットの食生活はヤクの上に成り立っている。もちろん、その間もバター茶攻めが続く。

部屋の壁を曼荼羅が埋め尽くす中、正面に、ダライ・ラマと若くて顔の大きい僧侶の写真が飾ってある。また、その下には若い女性の写真が飾ってあった。顔の大きい僧侶はベンジン・ラマといい、写真の女性はその娘だそうだ。表にあるチベット人専用のホテルは、ベンジン・ラマが建てたそうで、女性の写真はその中で撮ったということである。同じラマでありながら、両者は何がどう違うのかということをとうとうと説明してくれるのだが、あまりよく分からなかった。

同じ質問を繰り返したため、うるさがられてしまったが、宗派は異なるものの、チベット人は同じ宗教を信仰しているということを何度も強調していたことから推察するに、二人は異なる宗派のそれぞれの長なのだろう。現在、政治的な問題で、ダライ・ラマはインドへ、ベンジン・ラマは娘と一緒に北京へ行っているらしい。両者不在のため、外国からの観光者が減る一方、以前より増えてきた中国からの観光者はチベット人を雇わないので、チベット人のガイド仲間の多くが失業してしまったとのこと。言葉の端々に中国人に対する反感が感じられる。

しばらくすると、ハンジョウの兄が帰ってきた。先ほどから接客してくれている女性は彼の妻で、子供はその息子。彼は20代半ばで、中国人を除く外国人を相手に観光業を営んでおり、客の多くは欧米系だが、日本人はまだ相手にしたことがないらしい。名刺を渡すから、帰国したら家族・親戚・知人を紹介するよう頼まれたのだが、彼は肝心の名刺を持ち合わせていなかったため、後日ハンジョウを通じて貰うということで、請け負っておいた。

その兄が、長男ゆえか家族の誰よりも立派なカップでバター茶を飲みながら、流暢な英語で、「ハッパはガイドとしてどうか」と尋ねてきた。親切だし、貴方ほどではないが英語は上手いと答えると、しばらく考え込んでいる。自分の旅行会社で採用するか真剣に迷っているのだ。20代なのにしっかりしている。

そのうち、ハンジョウが、「あなたの家には何がありますか?」と聞いてきた。何でこんなことを聞くのだろうと思いながらも、テレビ、オーディオセット・・・と答えていると、「違います違います、結婚してますか?」と言う。なるほど、家族に誰がいるかと聞きたいのか。そこで、誰もいませんと答えると、次に年齢を聞いてきた。31才だと答えると、びっくりし、チベットの女性は早ければ15歳、遅くても20歳頃には結婚する、兄は最近結婚したばかりだが、自分は未婚だと教えてくれた。また、現在は女性が産む子供の数は1~3人なのだが、例えば彼の母親の場合は10人近く産んでいるなど、以前は子沢山が基本だったらしい。そんな中、何だか彼らの純粋な結婚観を汚すようで、とても自分がバツイチだと言い出す気になれなかった。ひょっとしたら、バツイチという言葉の意味を理解しないのではないかとも思われた。

しかし、ハンジョウの日本語、そしてその兄の英語の上手さはどういうことか。その旨を指摘すると、ハンジョウは、チベット大学に留学していた日本人(現在は京都に在住)に日本語を教わったという。加えて、韓国からの旅行者が増えてきている現状をふまえ、今は韓国語も勉強しているという。見上げたものである。30代後半までにお金を貯めて、いつか日本に、しかもなぜか大阪に行きたいと言っていた。

その後は、部屋の壁に掲げられていたラサ市の全体写真に写っているポタラ宮の裏側に広がる高原の美しさ、毎年チベットを訪れてはハンジョウのガイドを受けるという日本人の中年女性教師の写真等をネタに談笑し、バター茶を注いでもらう都度こちらが「ありがとう」という度に「ありがとうございます」と言っては一人で笑い転げながらクッキーをくれる子供とじゃれたりしていると、22時を過ぎたので、お暇することになった。帰り際に、ハンジョウの兄が「カータ」という長くて白い布を首に巻いて呉れたのだが、客を大事にする儀礼的なものだそうである。最後に、記念としてご家族と一緒に写真を撮ったのだが、デジカメに映る画面を面白そうに見ていた。

建物を出るとさすがに辺りは暗い。帰りはバスがないため、ハンジョウと一緒に、タクシーでホテルまで帰った。到着後ロビーにて、翌日は1日ツアーなので9時に迎えに来てくれるという。なんのことはない、やはり1日で4箇所を回れるのだ。ハンジョウと別れて部屋に入った僕は、夜も暖房が入らないことを知り、早速風呂に入って体を温め、すぐさまベッドに入って松本清張の『砂の器』を読んで寝た。