会社を休んでチベットへ行こう (3)

旅行1日目 成都へ

事前にガイドから教えてもらったとおり、検査所の突き当たりを右に折れると、なるほどこれまたガイドの言うとおり、1階に降りる階段が出てきた。1階を上から見下ろすと、左手に番号が付いたゲートが並び、右手に建物の中庭に出るドアやらラウンジがあり、中央に配列された椅子に人がひしめき合っており、あたかも湯気が立ちそうな状況である。その階段を降り、ボーディングパスに記載された18番ゲートの前に行くと、あらためてそこがバス乗り場であることに気が付いた。どうやらここからバスに乗って、飛行機まで誘導されるらしい。

各所に置かれているテレビには、飛行機の発着状況が掲示されているのだが、僕が乗る飛行機を確認したところ、早速1時間程「遅延」の表示が出ている。さすが中国国内線、期待を裏切らず見事に旅情を味わせてくれる。まあ本日中に次の目的地である成都(四川省)に着ければいいのだからと、焦らずに待った。待ち時間の間、中庭に出てみたら、皆がめいめい茶を飲んでいた。建物の外壁は所々ベニヤ板でできており、およそ空港とは思えない。

予定より1時間遅れてゲートが開き、押し合いへし合いでバスに乗った。よく見ると心なしか皆の顔が浅黒く見える。やはりチベット系の人たちが多いせいだろうか。バスからは、色んな航空会社の名が付いた飛行機が並んでいるのが見えるが、どれも中国の航空会社である。そのうちの1機に乗り込み、ここでも通路側の席に着き、出発を待った。間もなく入口のドアが閉まる。走り出す。止まる。電気が消える。「ん?」。場内にアナウンスが流れたが、意味不明。しかし、機内のあちこちから不満のため息が聞こえる。またもや遅延のようだ。いつ出発するのだろうと、しばらく待ったが、動きはない。時は既に17時30分頃。

一体いつになったら出発するのかさすがにいらいらした僕は、時計代わりに持ち歩いていた携帯電話を取り出し、メール画面に「何時出発?」と書いて、隣のおばちゃんに見せた。すると、「◎●△×・・・」そもそも質問の意味が分からないのか、意味を分かった上で返答してくれているのかも判然としないが、とにかく何かをまくし立てている。てっきり指で数字を示して回答してくれるものと信じ込んでいた僕があっけにとられていると、おばさんは、スチュワーデスに向かって何かを大声で伝えた。それを機に、周りの乗客の視線が一斉に集まる。近くの人は携帯電話の画面を覗き込んでくる始末。困ったことにスチュワーデスは中国語しかできない模様で、こちらとしては、事態が把握できない。余計な心配を一つ増やしただけである。

ひょっとして「何時出発」って、中国人にとってのものすごい禁句だったんではないかと不安になり、万が一に備えてパスポートを出そうと身構えていたら、男性乗務員がやって来て「エイティーンフォーティ」と教えてくれた。助かった。別に禁句だったわけではなかったらしい。しかし、18時40分とは、本来成都に到着する時間であり、あと小一時間待機ということである。その間、隣のおばちゃんの友達らしきおばちゃんが、僕の座席の脇にある通路に立ちはだかり、二人が僕を挟んで大声で会話し始めた。新たなおばちゃんは、座席のライトの光線を遮断するほど身を乗り出してくるので、本も読めない。しかも声を発する度に、唾が飛んでくる。これはたまらんと思い、トイレに逃げこむ僕。居なくなった頃を見計らって席に戻ってみると、今度は僕の席に座っているではないか。「あー、あー」と意味不明な音に意味を込めながら席の傍に寄ると、すぐさま空けてくれた。悪い人ではないらしい。ただ、人と人の間の距離感覚が、日本人と違うだけだ。

こうしてすったもんだの挙句、飛行機は今度こそ予定通りに成都に向けて出発した。機内食はやはり中華料理。ご飯にマーボー豆腐がかかっているものと、パン、ケーキ、ゼリー。マーボー豆腐にかけるはずの辛味調味料の袋に切り口が付いていないため、これを開けるのに四苦八苦したが、爪楊枝で穴を開けてクリア。隣のおばちゃんは、フォークで穴を開けていた。全体的に、意外とおいしい。

成都に着いて驚いたのは、空港が大変近代的なことである。羽田のビッグバードと遜色ない。そこで例の通り矢印に従って進み、「手洗間」で小用を足してから、出口に向かった。「手洗間」でふと見ると、大用のトイレは和式であった。てっきり和式はその名の通り、日本だけに存在するのかと思っていたが、本当は亜式=アジア式なのかもしれない。

20時ごろ、ようやく出口でガイドに会え、すぐさま運転手の待つ車に乗って、ホテルまで向かった。成都は山に囲まれているため、霧が出やすいそうだが、その夜も、空港周辺は霧だらけであった。空港から一直線に10キロほど延びる高速道路をすっ飛ばし、料金所では驚くべきことにETCが設置されているのだが、これを通過し、一般道路に入ってからもがらがらの道をすっ飛ばし、これまた驚くべきことに発光ダイオード式の信号機が設置されているのだが、これらもやり過ごし、ようやくホテルに着いた。

ホテルは、ちょうど以前に仕事が忙しい時期に寝泊りしていた銀座第一ホテルのような感じ。思ったより立派である。ホテルに着いたのは21時を過ぎていて、明朝は5時過ぎにロビーでガイドと待ち合わせていたため、あまり時間はなかったが、晩飯を食いがてら、界隈を散歩することにした。

通り沿いのCD・DVDショップ(映画は警察モノが多い)、パン屋等をひやかしながら進むと、通りの反対に大きなショッピングセンターがある。その中にある飯屋に入って、恐る恐る肉野菜ご飯なるものとココナッツジュースを頼んだ。付け合せに出てきた黒っぽいへんちくりんな形をした野菜の漬物が僕の初めて食べた中国での料理。しかし、どれも全体的においしかった。値段は200円程度だから安い。

店を出た僕は、次に翌日の朝食用のパンと高山病対策の水を買おうと、ショッピングセンターの中央に位置する「トラストマート」という名のスーパーに入った。店内は大変大きく、品数も豊富。ようやくパン売り場を探り当て、かごに水も入れ、ついでに好奇心で食料品売り場を見てみると、餃子やらシュウマイやらの冷凍された飲茶が、箱の中に無造作にスコップと一緒に置いてある。その隣で「そんなに食えないだろ」と突っ込みたくなる程の量を、男がビニールに入れている。

こうした光景を尻目に、レジで勘定をしてもらったところ、日本円にして100円もいかない安さ。しかしいざ金を支払おうとすると、店員がまたもや何かしゃべってくる。「あー、あー」。こちらも懲りずに、というかこれしか会話の術を知らないのだが、意味不明な音を発しながら、金を突き出した。しかしやはり受け取らない。なんだか怒っているようでもある。そうこうしているうちに、後ろに並んでいた客が、カードを持った手を伸ばしてきた。「しょうがないわね」といった表情で、店員は、そのカードにバーコード読み取り機をあて、果たしてようやく勘定ができた次第である。なるほど「トラストマート」は会員制のスーパーだったのか。

トラストマートを出て、その横にあるケンタッキーフライドチキンを見ながら、ショッピングセンターを抜け出て、来た道とは逆の歩道を歩いて、ホテルに帰ることにした。行きは暗がりでよく見えなかったが、周辺の建物とはおよそ不釣合いのとてつもなく立派な建物が3つ並んでいる。表札を見ると、まずは「武侯区警察」、続いて「武侯区検察院」、最後に「武侯区法務院」。なるほど、事件処理の順番を考えると、これは極めて合理的な配置である。ちなみに、検察院が最も立派であった。

ホテルに帰った後、浴槽の栓が1ミリ程度しか開かず、水の排出にやたらと時間がかかり、シャワーを浴びるのに手間取るといったトラブルもあったが、とにもかくにもようやく長い1日が終了した。