走らない人が走り始めるとき (10)

フルマラソンを走る人 (2020年10月18日)

朝6時に目覚ましが鳴って起床。昨日の大雨とは打って変わって気持ちよく晴れているではないか。気分を良くしてさっそく朝食をとる。サトウの切り餅2つを砂糖醤油につけて食べ、小さめの肉まんを2つ食べた。いつもどおりすぐに排泄もできてこれも幸先が良い。着替えにかかる。いつも使っているアシックスのタイツ、アシックスの5本指のソックス。レース中に友人や家族から見つけてもらいやすそうな黄色の半袖ランニングシャツ、黒のランニングパンツ。両乳首に絆創膏を貼って万全の体制である。

今日の大会のスタート時刻は午前9時、受付開始が7時半なのだが小規模な大会なのでそんなに混まないだろうと一緒に走る高校時代の同級生N、O、Sの3人とメッセンジャーで情報交換をし、午前7時過ぎに家を出た。会場までドアツードアで1時間以内にあるというのがとてもありがたい。シューズは1ヶ月前に買って100キロちょっと走ったホカオネオネのClifton 7を迷わず選択。頼む。お前にかかってるで。

自宅から大井町線の緑が丘駅まで徒歩で10分余り。昨日走れなかったので、この駅までの道のりをウォームアップだと思っていつもよりも足の裏を意識し道路を踏みしめる感じで歩いた。緑が丘駅前のファミリーマートでバナナとポカリスエットを購入。電車に乗ってポカリスエットを少しずつ飲んでいた。二子玉川駅で田園都市線に乗り換えて、多摩川を渡って向かい側にある二子新地駅に到着。ここが会場最寄り駅である。念のため駅のトイレで用を足して、10分程度歩いて会場に着いた。

人はあまりいない。会場入り口でいつもの検温とアルコール消毒をし広場の中に入るが昨日の雨でぐちゃぐちゃになっているのですぐに端の方に移動しバナナと家からもってきたinゼリーを食べる。今日一緒に出走するメンバーも次第に集まってきてみんなで記念撮影。応援に来てくれると言っていた妻宛にLINEでその写真を送り、みんなの顔と服装の情報を伝えた。現在の気温は摂氏12、13度といったところ。しかし予報ではこの後昼頃には20度近くまで上がるらしい。中に1枚着るのは止めにして半袖Tシャツのみで走ることにした。

ウエストポーチにiPhoneと小さめのビニール袋に入れた5,000円札1枚とスポーツようかん3本と小さめのアミノバイタル2本、塩熱サプリ数粒を入れて、ランニングパンツのポケットにハンドタオルを入れ、サングラスをして、この大会のために購入したAnkerのSoundcore Spirit Dot 2というワイヤレスイヤホンを耳に突っ込んで、残りをすべて荷物預かり所で保管してもらった。

8時半から開会式が始まった。人も疎らで盛り上がらないなかMCのおじさんはすごく頑張っていた。しかしそんなことより初マラソンの自分はここから42キロをどんなペースでいくのか考えることで頭が一杯である。数日前に皇居ラン会の後の呑み会の席で友人Bから「藤形はどれくらいのペースで走るつもりなん?」と訊かれ、「Qちゃんのコーチやった故・小出監督のアドバイスをネットで見たんやけど、最初はペースを抑えめにして、少しずつペースを上げていくのがいい、ってあったのでそれでいこうと思う。最初の14キロを5分50秒、次の14キロを5分40秒、で残りをがんばって5分30秒に上げてあわよくばサブ4」などと口走ったものの、いやそれはさすがに今の自分の実力から考えたら無茶だなと慌てて発言を取り消したのだった。

これまでの経験から30キロまでだったらキロ6分で走れることはわかっている。ランナーの先輩たちはみんな口を揃えて30キロ以降が地獄だと言っているではないか。とにかくできるところまでキロ6分で行ってみよう。それで最後に万が一元気が残っていればペースを上げればいいし、最後まで6分でも4時間13分でデビュー戦としては万々歳。30キロを超えて急にしんどくなったとしてもキロ6分30秒で踏ん張れば4時間20分は切れる。よし決めた。

と方針を決めたところで程なく午前9時になる。自己申告の記録が早い人達がスタートを切った。その3分後に私の属するグループもスタート。Garminのスタートボタンを押し、iPhoneの音楽のスタートボタンを押し、とにかくキロ6分ペースを保つよう意識しながら慎重に走り始めた。一緒にスタートをした友人Sからすぐに遅れ始めるものの気にしちゃいかん。とにかくキロ6分だ、キロ6分。

コースは二子新地から丸子橋方面へ4.2キロ下り、橋を超えてすぐのところで折り返して4.2キロ上ってスタート地点に戻る。これを5回繰り返して合計42.195キロというわかりやすいけれど極めて単調なもの。Love Psychedelicoの曲を聴きながら、淡々と走る。実を言うと1年ほど前にランニングを始めた頃からなぜかキロ6分を正確に刻むことだけは得意なのだ。最初の1周8.4キロを終え、2周めも終わろうとする14キロあたりまでほとんど誤差なくキロ6分で進んだ。給水所が2キロ毎くらいに用意されているのがありがたい。5キロを超えたあたりからはすべての給水所でスポーツドリンクか水のどちらかを飲むことにした。

会場である多摩川の川崎市側の河川敷はほんの一部舗装されているところがあるけれど99%以上が砂利道である。よく走ってるコースなのでそこは気にならないのだが、やはり前日の雨のせいで水たまりが各所にある。靴が汚れるのもヤだし、足が濡れるのもヤなので、水たまりの度にかなり意識をしてよけながら走っていた。

15キロ地点。ここでスポーツようかんを1本食べる。給水所の手前くらいから食べ始め、口に全部入れたところで給水所で水の入った紙コップを取り、歩きながら水を飲んでようかんを嚥下し、ようかんが入っていた袋と紙コップをゴミ箱に捨ててまた走り始める。この一連の動作のせいで15キロのスプリットは6分30秒になった。ここで焦っちゃいかん。しんどくてペースが落ちたんじゃないんだから。取り返そうなどと思うなよ。次の1キロからまた6分ペースに戻そう。

3周めに入って20キロ地点。ここで2度めの食料補給はアミノバイタル。これも給水所の手前で封を開けて口の中に流し込み(濃くて甘ったるくてやや不快)、給水所で水の入った紙コップを取って、歩きながら流し込んでゴミを捨てる。今度は時間のロスも少なくてキロ6分を維持できた。

異変が起きたのは3周めの終わり頃、23キロ地点だった。普段感じたことの無い両ふくらはぎの重さ。鈍い痛みのような感覚だ。んー、なんかヤだなー。まだ23キロなのに。練習で走った30キロでもこんなことは無かったのにな。案の定、この1キロは6分20秒にペースが落ちている。いかんいかん。最低30キロまで6分ペースと思っていたのに早くもプランが崩壊するではないか。途中25キロ地点で2つめのスポーツようかんを食べたのを挟み、結局ふくらはぎの重さはその後もひかないまま28キロまで6分20秒弱のペースが続いたのだった。ゴール後に振り返ってみるとずっと水たまりを避けて走っていたのがいつもと違う負担になっていたのかもしれない。しかしこの時は何も思い当たらずペースダウンにただ焦っていた。

いやあ参ったなこりゃと思いながら、3度めの丸子橋が見えてきた付近で前から走ってきた自転車に乗った中年女性から突然呼びかけられて驚く。なんだなんだなんだ。思わぬハプニングにイヤフォンを耳から引っこ抜きウエストポーチにしまってもう一度女性を見直すと・・・マスク越しのその女性は他でもない私の妻だった。
「???あれええ?たしか車でこのあたりに来て翠(←二女)と華ちゃん(←三女)と3人で応援するわ、って昨日言ってなかったっけ?なんで1人で自転車なん?」

そろそろしんどくなってきているので本当はあんまり喋りたくないのだが、思わず大声でそう質問すると、

「それが、翠も華ちゃんも朝からマインクラフトに夢中で応援行くのやめるって」
「・・・(絶句)!」
「私1人になって悪いねー。でもがんばってー。さっきOくんに会ったよ」
「そうか。LINEで送った写真が役立ったね」
「OくんによるとNくんは先を走ってるって」
「そうそう。たぶんもうすぐSがやってくるわ」

などと会話をしていると間もなく前からオレンジ色のTシャツを着たSが現れてすれ違いざまに妻が挨拶。その後も丸子橋まで自転車に乗った妻がコースを並走するのだが、その様を向こうから走ってくる参加ランナーがジロジロ見てくるのはやはり奇妙な光景だったからだろう。しかし30キロに近づいてくると

「けっこうしんどそうやなー。代わりにちょっとだけ走ったろか?その間自転車に乗っとく?」

などという妻のジョークに反応するのも正直つらい。そうこうしているうちに丸子橋に達してここで妻と別れて再び1人に戻る。しかしこの思わぬ出来事は淡々とペースを刻まないといけないマラソンレースにはどちらかと言えば悪い影響を与えそうだぞ。しんどい時にけっこういっぱい喋ってしまったし、しかも自分も変な見栄を妻に見せて並走中の1キロは5分56秒で走ってるではないか。あれだけ何をやっても6分20秒ペースから戻せなかったのに何をやってるんだおれは。それよりなにより二女や三女にとってマインクラフトはおれのマラソンレースより魅力的なのか。とほほほほほほ。マインクラフトなんかいつでもできるのに。くそ。あっ。いかんいかんいかん。いろいろごちゃごちゃ考えるのはよそう。もう一度普通に戻さんといかん、と焦っている間に30キロ地点がやって来て再びアミノバイタルを補給。そして31キロからは6分20秒も維持できなくなってきて最後の周回へ突入した。マジかよ。こんなにキツくなってきてるのにまた同じ道のりを行って帰って8.4キロ走るのか。

妻と合流したときに思わず外し、そのまま外しっぱなしだったイヤフォンをもう一度つけてLove Psychedelicoを聴いて気分を盛り上げようかとも考えたが、もはやウエストポーチに手を突っ込んでイヤフォンを取り出して耳につけ、さらにスマホを操作して音楽を再生する、という一連の動作をすること自体がしんどくて全くやる気が起こらない。音楽を聴くのはもう諦めて、ここは走ることに集中しよう。

しかし5周めに入って最初の1キロ、34キロのスプリットは6分51秒。6分30秒ペースはおろか、このままではキロ7分台まで落ちてしまう。それだけは絶対阻止せんといかん、などと考えているうちに向かい側からはずいぶん先を走っていて最後の折返しを終えた友人N、その後をO、しばらく時間が開いてSがやって来てすれ違う。Nは「最後の1周がんばれ!」と声をかけてくれたが、Oはもはや私に気づく余裕がなく、Sもつらそうに歩いていた。いやいやいやいや。人の心配をしている場合ではない。35キロで3つめのスポーツようかんを無理やり胃の中に入れたが、丸子橋手前の37キロあたりでは遂にキロ6分57秒。あかんあかんあかんあかん。絶対に7分に落としたらあかん。根性を見せんかい。根性なんて言葉おれには全然似合わんけど。

丸子橋を超えて最後の折返し。残りは4.2キロ。そうだ。そういえば昔友人Fのマラソンレポートで、「残り5キロは、いつも自分が走っているホームコースの5キロを思い返して、今はこのあたりまで来た、今はあのあたりまで来た。もうちょっとや、と思って走っていた」と書いてたぞ。それや。おれもいつも走ってる皇居の周りを思い出そう。皇居ランならスタートして今は気象庁前や。もうちょっとや。ペースをちょっとでもいいから上げろ。最低4時間30分は切ろう。今は国立近代美術館前や。くそ。ビール呑みたいビール呑みたいビール呑みたい。今はなんとか言う高速道路の入り口のあたりや。あーしんどい。心肺はそんなにきつくないのに足が全然前に出ん。そうかストライドは諦めてピッチを早めたらいいのか。あーくそ。ピッチも全然早くならん。あ、もうイギリス大使館前や。あービール呑みたいビール呑みたい。くそ。ふくらはぎが痛い。あー痛い。よ、40キロ地点や。ということはFM東京前や。

と、皇居ランとビール呑むこととふくらはぎの鈍い痛みとペースを少しでも上げることが頭の中でごちゃ混ぜになりながら残り2キロを切った。ここで前方100メートルくらいに黒っぽいワンピースのような服を着て走っている女の子を発見。変わった格好なのでスタートあたりから何度か見かけていたのだがしかし1度も彼女を抜けていない。あんな格好をして走るって変わった女の子だなー。というかああいうランニングウェアもあるもんなのか。よし、最後に彼女を抜いて終わろうと突如思い立つ。ペースはキロ6分30秒から40秒、しかし女の子もほぼ同じスピードらしく、全然距離が縮まらない。結局最後まで抜くことはできず、けれどもおかげで気を紛らわすことができて遂にゴール。

ゴールの瞬間を先に走り終えたNとSが写真に撮ってくれた。けれどもその直後にはふくらはぎの痛みがひどくてヘナヘナになり、その場にしゃがみこみたいのだが、ふくらはぎが痛すぎてしゃがみこめず、なんとも情けない姿になる。しかしとにもかくにも完走できた。スピードは遅いけど最後まで走り続けることができた。目標にしていた4時間20分には届かなかったけれど、それでも4時間24分28秒は悪くないタイムだ。今回、参加した4人がみんな50歳を目前にしたおっさんにもかかわらずケガ無くゴールを出来たのは本当に素晴らしい。Oが近くのコンビニで買ってきてくれた缶ビールを会場広場で早速開けて4人で乾杯。この時呑んだサッポロ黒ラベルの味は、今年呑んだビールのなかで文句なく1番だった。

よくフルマラソンを初めて走り終えた人が「世界が変わった」とか「人生観が変わる経験だった」などと言ってるけれど、そういう感情は全く湧いてこなかった。今年3月に走るはずだった静岡マラソンが中止になって以来、7ヶ月余りも焦らされているうちに脳内で何度も何度もマラソンのシミュレーションをしていたため、デビュー戦という感覚がなかったからかもしれない。

今回の4時間24分28秒という記録は初出場にしては上出来だったと思うけれど、でもこの1年間と同じ練習を今後続けていてもせいぜい4時間15分くらいの記録しか出ないんじゃないかと感じた。たぶんサブ4(4時間切り)を達成するためにはスピードを上げる練習とか、何か新しいものを取り入れないとダメなんだと思う。