走らない人が走り始めるとき (6)

ハーフマラソンを走る人 (2019年12月29日)

前の晩、アルコール摂取を強制的に終わらせるために夜9時過ぎに寝たら、あろうことか午前2時半に目が覚めてしまった。い、いかん。一番良くないリズムではないか。寝よう寝ようと苦労してやっと3時半くらいに二度寝。そして6時過ぎに再び起きた。

高校の同級生の先輩ランナーのみんなやWeb情報を参考に朝食は餅を選択。餅4つとフルーツヨーグルトとお茶。そしていつものように食後にすぐ排泄。腸の調子が基本的に良いのはランニングするにあたっての私の数少ない強みかもしれない。

などと明るい気持ちになっていたところに衝撃の連絡が入った。この日の大会は高校時代の同級生3人で参加する予定だったのだが、そのうちの一人が前日にまさかのギックリ腰発症とのこと。なんということだ。一緒に走れないのは残念だし、まったくの初心者の私にとっては実に心細いニュース。

しかしこれから歳を重ねていけばもっと凄まじいことも起こり得るよな。例えば友人のご家族から「実は本人が前日の夜に心筋梗塞で・・・」みたいな連絡が入って、マラソン大会の後、お通夜にハシゴすることになったりとか。などと極めて不謹慎なことを考えたりする。まあ仕方ない。これも試練だ。

周囲から教えてもらった皮膚保護用のクリームを足先や脇などに塗り、乳首に絆創膏を貼り、ランニング用の服装に着替えて、ランニング用のシューズを履いて朝8時に家を出た。緑ヶ丘駅まで歩き、東急大井町線で溝の口駅まで。ここでふと「11時半頃に走り始めてゴールするのが2時くらい。とすると、その前にもう一回お腹に何か入れておいた方がいいよな」と思って、JR南武線に乗り換える前に駅前のコンビニに寄っておにぎり2つとゼリーとポカリスエットを買った。

その後南武線の各駅電車で立川まで。座れたのがありがたかった。30分以上乗って立川駅にようやく到着。駅でトイレを済ませる。青梅線に乗り換えてさらに一駅、西立川に到着すると同じ大会に参加する人で結構な賑わいだった。冬の朝の寒さ。たぶん摂氏5度に届かないくらい。でも風がないので凍えるほどではない。快晴だ。

昭和記念公園内に入ったのが開園直後の9時半過ぎ。そのまま人の流れについていくと受付があり、エントリー番号を提示するかわりにゼッケンと参加賞のTシャツをもらう。

ここで最初の関門が現れた。ゼッケンと一緒に安全ピン4つが配られているのだが、これをTシャツの胸部にたるみなく歪みなく付けることのなんと難しいこと。受付前のベンチに屈み込んでおそらく15分くらい格闘していたのではないか。

ようやくゼッケン付けが完了し、溝の口で買ったおにぎりやゼリーを口に入れ、最後に持ってきた荷物を運営事務局の預かり所に預けようとするが、最終的に自分がどういう服装で、何と何を持って走るか、も初めてなので色々と悩んで時間を食ってしまう。

と、やはり初心者の自分には勝手のわからないことだらけで、現地到着を早めにしておいたのは大正解であった。

準備運動をしながら受付付近をうろうろしていると、偶然一緒に走る(ぎっくり腰になっていない方の)友人のご家族を発見。その後はご家族と行動を共にして、友人と娘さん(小学1年生の女の子。元気いっぱい)のペア1キロレースの応援をしたり、記念写真を撮っていただいたりしているうちにハーフマラソンのスタートがあっという間にやってきた。

(友人)「どれくらいのペースでいくつもり?」(私)「んー、初めてやし、完走したいのでいつものキロ6分30秒ペースで最後までいければなーと思ってる」(友人)「わかった。じゃあ最初の10キロはおれもそのペースで付き合うよ」と、まるで聖母マリアのような心優しいお声がけ。申し訳ないがありがたい。

そしていよいよレースがスタートした。ハーフマラソンの参加者は1,000人だったのだが、真ん中よりも前の方からスタートしたので、後ろからペースの速い人たちにどんどん抜かされる。が、他人は他人。私はいつもの6分半ペースで・・・と思いきや、ん?自分のGarminを時々チェックすると友人の刻むペースが常にほんの少しだけ速い。キロ6分20秒をちょっと切るくらい。でも、これくらいだったら苦しさもなくついていけるという絶妙なペース。これ、ひょっとして友人は計算してやっているのでは。だとしたらなんて素晴らしいコーチなんだろうか。

昭和記念公園のコースは、公園の外周が5キロあり、最初に1キロ程度を余分に走った後にこの外周を4周する。給水所は外周に2箇所設けられていて、水とスポーツドリンクを準備してくれている。給水所には毎回立ち寄った。給水所にいる方や、コース沿いにいる方々が応援してくれるのは本当にありがたかった。何しろ一人でランニングしていても誰も声は掛けてくれないから。よくみんなが「あの時の応援が背中を押してくれました」のようなことを言うけれど、それが初めて理解できた。

さて、そうこうしているうちにレースの方は10キロを通過している。いつも立ち上がりの2、3キロはふくらはぎあたりが重く感じて、その後だんだん楽になってくるのだが今日も同じ。すぐ前を走る友人の「微妙に速いが、息が上がらずついていける」ペースはそのままだ。

いつも走っている皇居2周が10キロで、自分がこれまで最も長く走った経験が15キロ。15キロ走った時は最後ふくらはぎがひどく痛んで走るのを止めたのだった。膝が痛むのも恐い。と、3周目はどこかが痛くならないかをずっと気にしながら走っていた。

幸いどこにも痛みが来ないまま3周目が終わって16キロ地点、友人の奥様とお子さんの声援もいただいてまた元気をもらう。あと5キロ。と、ここで前を走る友人が近づいてきて「フジカタ、いいペースだよ。あと5キロはフジカタのいけるペースでもっといってくれていいよ」と声がけしてくれた。おおおお、なんというきめ細かさ。無理せず気持ちよく余力を引き出してくれる魔法の如きフレーズ。

どうしよう。たしかに今のところどこにも痛みは無いし、息も上がっていない。脚も前に出ているし、腕もふれている(と、自分には思えていた)。少しペースを上げてみることはできそうだ。でもなあ、ここで欲を出して故障してしばらく走れなくなったら馬鹿だよな。だいたいここから先は走ったことのない距離。いわば未知の世界だ、何が起こるかわからんぞ。いやいやいや。こんな絶好のタイミングはそうそう無いかも。天候はいいし、体調もいい。友人が側を走ってくれている。

10秒か20秒くらい頭の中でせめぎあったが、ここはひとつ挑戦してみようと決めて、腕をこれまでより意識して大きく振ってみる。ストライドがこれまでより大きくなる(と、自分では思った)。キロ6分前後のペース。これくらいになると呼吸が大きくなり「ハアハア」という声が出ているのが自分でもわかる。たまに掛かる声援が身に沁みる。最後の2キロくらいで何人かのランナーを抜いて、ゴール。おお、本当に走れた。終わったー。友人のご家族が迎えてくれたのが心底嬉しかった。

ゴール地点にいらっしゃった女子マラソンの元オリンピック代表、原裕美子さんにお願いして記念写真を撮影した後、記録証をもらいにいく。2時間11分44秒だった。もし、自分が最初に設定していたキロ6分30秒ペースで最後まで走っていたら2時間17分ちょっと。いや、それどころか1人で走っていたらきっと後半ペースを落としていただろうから2時間20分を超えていただろう。実際、当初の目標は2時間半を切って完走することだったのだから。

そう思うと友人の並走と的確な声掛けの効果は誠に絶大であった。おそらく来年あたり「理想の上司ランキング・男性篇」でウッチャンを抜いて彼がナンバーワンになるんじゃないだろうか。そもそも、当初は「最初の10キロ」と言っていたのに、結局友人は最後の最後まで私のゆっくりペースに付き合ってくれたのだ。

今日の夕方に帰省するという友人家族と別れて再び青梅線、南武線を乗り継いで武蔵溝ノ口駅。ここで我慢できずに途中下車して駅前の焼鳥屋で一人打ち上げ。ビール2杯と熱燗1合で眠気が襲ってきてお勘定をし、大井町線で緑ヶ丘駅に戻って歩いて帰宅した。

家に帰ってすぐシャワーを浴びたら、なぜか両脇腹の、ランニングパンツのゴムが当たる部分が無性に痛いことに気づく。なるほど、未知の経験をすると、予想もしなかった部位が痛くなるもんなんだなと変に感心をしたのであった。