おノロケのない新婚の旅 チュニジア篇 (3)

7月16日午後 ナブール→ハマメット→スース

ハマメットはナブールから西へ15キロほど。ナブール同様にここも海に面した町だ。この町はフランス植民地時代の1920年代にヨーロッパ人がリゾート地として開発したところだそうである(もちろんそれより遙か昔から町自体はあったのだが)。スイス人の画家パウル・クレーも愛した街。

まずは海辺のレストランで昼食。サラダと魚料理。魚料理といっても、魚は塩で味付けをして焼いたシンプルなもの。日本の焼き魚定食みたいな感じだ。ビールはチュニジア国産のCeltia。イスラムの国なのになぜか国産のアルコール飲料があるというのがおもしろい。軽くて爽やかな味。海を見ながらのビールは世界のどこにいても美味い。窓の外ではヨーロッパ人観光客が行き交っている。さて、われわれも腹も落ち着いたところでハマメット観光だ。

シェキブさんの案内でメディナ(固有名詞のメディナではなく、「旧市街地」という意味らしい)を歩く。メディナは頑丈な城壁に囲まれていて、門をくぐって街の中に入る。なかは商店街のようになっているのだが、少し路地に入るとそこは住宅街であり、目の醒めるような美しい白壁と青いアーチ型のドア(これが有名な「チュニジアン・ドア」)。左右にある白壁の間を走る路は行き交うのがやっとという細さであり、しかもくねくねと折れ曲がり、迷路のようだ。シェキブさんなしでは迷子になること必至である。何という花なのか忘れたが、見事なピンク色の花が白壁の2階部分から路の方へ垂れ下がっていて、白、ブルー、ピンクの対比が素晴らしい。

どこをどう歩いたのか、知らぬ間に再びメインストリートの商店街に戻った。男たちが乗る古いバイクがひっきりなしに往来を走る。商店の店先からは「スズキ、カワサキ!」と声がかかり、しばらくしてから、あ、あれはおれたちが日本人だと知って叫んでいるのかと気づく。やはりこの街で日本人が歩いていると目立つ。シェキブさんに尋ねてみると、チュニジアがフランスから独立したてのころ、同じ共産国家ということで中国から出稼ぎに来ているひとがけっこういたそうで、彼らは今でもチュニジアに住んでいるとのこと。だが日本人はほとんど住んでいないようだ。日本製のバイクはたしかによく見かける。それに車(ピックアップトラックが多い)もISUZU、NISSANと日本製がよく走っている。

「いすゞの工場が明日行くカイロワンの街にあります」とシェキブさん。

へええ。チュニジアに日本車の工場があったのか、などと感心しているうちにメディナの外へ出た。

さあて移動である。ヴェテラン運転手ムッシュ・へディーはわれわれが観光しているときは別行動をしている。だが、われわれ3人が車の近くに戻ってくると、どこからともなく(ほんとにどこからともなく)ふらりと現れ、ドアロックを開けてくれ、無言で車を発進させる。し。しぶい。

次はこのハマメットから東の地中海岸沿いを南下し、スースという街へ向かう。スースはチュニジア第3の都市であり、チュニジア屈指のビーチ・リゾートの都市でもある。この街にあるメディナは世界遺産にも登録されている立派なもので、グラン・モスク(イスラムの寺院)がそびえたっている。その横にはアラブ人が侵攻の前線基地として築いたというリバト(要塞)がある。ともに8、9世紀に造られたもの。きちっと記念写真を撮り、メディナを散歩。日差しがきつくなってきた。しばらく歩いた後、小さな売店でイチゴ・ジュースを飲む。シェキブさんのおごりだ。店の若い男は、でかいコップにあふれるほど並々と注いでくれた。このイチゴ・ジュース、名前に違わず、イチゴをそのまますりつぶしただけというシンプルかつ濃厚なもの。う。美味い。徐々に厳しくなってきた暑さが、つかのま後退した。

その後国営のショッピングセンターへ。ウィンドウショッピング。アラビアン・ミュージックのCDを買おうかどうしようか迷ったが、よく考えたら渋谷のタワーレコードなんかのほうが充実しているかもしれんなあと思って結局買わなかった。

再び車に戻り、本日の宿泊場所である”Diar El-Andalous”へ。ビーチ沿いにずーっとリゾートホテルが並んでおり、そのややはずれにそのホテルはあった。陽光の溢れ出るような白くて美しいホテルである。チェックインし、部屋のベッドに横たわる。でかい部屋だ。バルコニーから庭が見渡せ、これがいかにも南国のリゾート、というような美しい庭である。バルコニーは日陰になっていて、涼しい風が吹いていて心地よい。タバコをふかしてしばし休憩。いやあ今日はよく活動した。だが、まだ夕方5時。外は十分に明るく、日差しもある。少しだけベッドでまどろんだ後、水着に着替えてプライヴェート・ビーチへ。

だが、ここで予期せぬ悲劇が襲うのであった・・・。最初はデッキチェアーに二人並んで寝ころび、ぼんやりと海を眺めていたのだが、せっかくビーチに出たのだからとTシャツを脱ぎ、ひとりで海に入って泳ぐことに。ひんやりとして気持ちいい。波打ち際からほんの数メートルのところを泳いでいると、突然右腕にイバラが巻き付いたような激痛が走った。「いててててててて」。あわてて浜にあがって右腕をみると帯状に腫れあがっている。ななななな。なんなんだ。いったいこれは。ビーチからプールに移ってシャワーで腕を冷やすが、燃えるように熱い。とりあえずは記念写真だ、ということで腕を撮影したりしているうちに(←なにやってんだ)ミミズ腫れのようになってきたからたまらない。ホテル内の医務室に行くと、物憂い顔をしたお医者さんがひとこと「めでゅーす」とつぶやき、私の腕に軟膏をすりこみはじめた。

「めでゅーす?」
「めでゅーすってなんだろ?」
「さあ???」

奥さんがお医者さんに「めでゅーすって何?」と尋ねる。どうやらクラゲのことをフランス語では「メデュース」というらしい。「メデューサ」からきているんだろう。ここらあたりの海ではけっこうクラゲがいるようで、医者も慣れた様子だ。

「これで大丈夫だ。もし腫れが明日になってもひかなかったらまた来い」

と言われ、「メルスィ・ボク」とお礼を言いつつ部屋に戻った。これで「メデュース」という単語を一生忘れることはないだろう。体で覚えるフランス語・・・。

夕食はホテル内のレストラン。奥さんはラムが食べられないのだが、私は全然平気。うまい。サラダも肉も魚もフルーツもケーキも豊富に取り揃えられていて満足至極。コーヒーでしめる。

観光しまくったこの日。チュニジアの旅はまだ始まったばかりだ。この調子でチュニジアじゅうを動き回り続けるのだろうか。体がもつのかやや心配なところもあるな。などと考えているうちに眠ってしまう。眠るころにはメデュースの腫れもほとんどひいていた。