おノロケのない新婚の旅 チュニジア篇 (1)

7月15日 東京→パリ→チュニス

チュニジアの首都、チュニスにあるチュニス・カルタゴ国際空港に着いたのは真夜中だった。二人ともさすがにへとへとだ。

成田を発ったのが同じ日の正午過ぎ。パリに到着したのが午後6時前(パリと東京の時差は8時間、ただし夏時間が採用されている今は7時間)、シャルル・ド・ゴール空港内のカフェで時間をつぶして、午後9時のパリ発チュニス行きで約2時間半のフライト。自宅からの時間を計算すると、ざっと24時間が経過しているわけだから、そりゃまあ疲れるわけだ。

新婚旅行にチュニジアに行こうという話になったのはほんとうに些細なきっかけからである。奥さんがスイスに留学していたときに知り合ったチュニジア人が「チュニジアは美しい国だ、ぜひ観光に行くべきだ」と猛烈に自分の国を売り込んだのだそうだ。そんなにアピールするのだからさぞや素晴らしい国なんじゃあないのかということになり、ガイドブックを数冊買い込んで写真などを眺めているうちに、うーむ。たしかにこれは美しそうではないか、北部は美しいブルーの地中海、建物の白、ドアはチュニジアン・ブルーと呼ばれる独特の青で塗られている。そして南に行けばサハラ砂漠が広がっている。行こう行こうぜひ行きましょう、と夫婦の意見が一致したのであった。

その後すぐに奥さんが信じられない行動力をみせてチュニジア大使館に電話をした。親切な館員は、チュニジアの旅行代理店の日本窓口をしてらっしゃるオバイアさんという人を紹介してくれた。今回の旅はそのオバイアさんがコーディネートしてくれたわけである。

そういう経緯があって、二人はいまチュニス・カルタゴ空港にいる。

さて、チュニジアチュニジアといっても日本には馴染みの薄い国なので(実際私も全然チュニジアという国の知識を持ち合わせていなかった)、ここで旅の前にチュニジアに関する知識をガイドブック的にざっと整理しておこう。

チュニジアは北アフリカの国である。面積は日本の半分ほど。西はアルジェリア、南はリビアと国境を接し、北と東は地中海に面している。地中海を隔てて向かいはイタリア半島だ。人口は900万人余り、そのうち北部にある首都チュニスに200万人が住む。民族構成はアラブ人が98%で、残りが先住民族であるベルベル人、そしてヨーロッパ系である。というわけで当然のことながら国民の圧倒的多数がイスラム教を信仰しているのだが、その戒律は他国に較べるとかなり緩やかのようだ(これは後ほど何度か詳しく書くことになるだろう)。お酒も飲めるし、女性も(とりわけ都市部では)けっこう肌を露出していたりする。

チュニジアの歴史はまことに多彩であり、昔世界史が好きだった人なら、この国はほんとうに楽しめると思う。ベルベル人が住んでいたこの土地に、いまのシリアのあたりに住んでいたフェニキア人がやってきて、かの有名な貿易都市カルタゴを建設したのが紀元前9世紀のことだ。そうなんである。カルタゴっていまのチュニジアにあったのだった。私は恥ずかしながら全然知らなかった。その後かの有名なポエニ戦争などを経てフェニキアはローマ帝国に破れ、紀元後200年頃までにはチュニジア全土がローマ帝国の支配下に入る。ところがローマ帝国には異民族が侵入し、5世紀にカルタゴにはそのひとつヴァンダル族が入る。それも束の間、6世紀、今度は東ローマ(ビザンチン)帝国がヴァンダル族を滅ぼす。と思うまもなく(いやあ目まぐるしい)7世紀にはイスラム勢力にとってかわり、王朝が代わりながら15世紀末まで続いた。16世紀に入るとチュニジアはスペインとオスマン・トルコの勢力争いの舞台となるが、最終的にチュニジアを支配したのはオスマン・トルコだった。だが19世紀末、帝国時代に入るとこの国はフランス領となり、その支配は第二次大戦まで続く。そして1956年フランスから独立、現在に至っている。

いやあ、書いているだけでもクラクラするほど激しい歴史を経験している国なのである。そんなわけだから公用語はアラビア語だが、フランス語が同じくらいに行きわたっている。とはいっても私はフランス語を話せないので数ヶ月間フランス語の語学留学をしていた奥さんが頼みの綱である。

話はチュニス空港に戻る。

荷物を受け取り、入国審査を済ませてゲートを出ると、妙に軽いノリの若い男性が「フジカタさ~ん」と叫んだ。旅行代理店の人が出迎えにきてくれたのだ。握手をして自己紹介をする。名前はハムディさんという。ホテルまで送ってくれることになっているのだが、肝心の車がない。どうやらハムディさん、タクシーで空港まで来ていたらしいのだが、タクシーを待たせていたわけでもなく、あわててわれわれのためのタクシーを探してくれるのだがこれがなかなかつかまらない。真夜中だが、外はムッとした熱気がある。空港前に植わったナツメヤシの木、電飾、今年正月に遊びに行ったグァムをちょっと思い出させる風景だ。

などとのんきにいろいろと考えている横で、横で奥さんは完全にイカリはじめていた。「なんで車を用意してないのよ」「そうやなあ」「全然タクシー来ないし」「うーむ」。待つこと10分、ようやくハムディさんは一台を確保することに成功、しかしこれがまた汚い。後部座席は砂だらけで、これが奥さんの怒りを倍加させた。「なんでこんなに汚れているのか」と憤懣やる方ない様子である。「まあまあ、そう怒らんと」となだめつつ、初日宿泊するAbounawasというホテルまで約15分。

チェックインを済ませ、ホテルのロビーで明日の予定を打ち合わせる。明日からはガイドさんと運転手がつくことになっている。「明日の朝は何時にしましょう?」とハムディさん。疲れていた私たちは「10時で」と声を揃える。「そ。それはちょっと遅すぎるのでは・・・」「いや。もう絶対に10時で。二人ともくたくたに疲れてるんです」「でも・・・」「10時!」。結局10時で押し切って部屋に入る。

つ。疲れた。翌日からはチュニジア全土をほぼ一周する旅がいよいよ始まるのだ。ミネラルウォーターを飲み、タバコを喫って、ベッドに入るやいなや眠ってしまった。