会社を休んでチベットへ行こう (18)

旅行6日目 帰国の途

翌朝、待ち合わせ時間に若干遅れてロビーに行くと既にガイドが待っていた。朝が早いのでフロントには誰もいない。空港に向かう途中の車内で、ガイドの応対等に関するアンケートを書かされた。アンケートに回答するほどそのガイドを知らないのだが、とりあえず全ての質問に対して「満足」と回答しておく。

空港に着き、搭乗手続きを済ませ、検査場までやって来ると、ガイドはそそくさと帰ってしまった。その後、飛行機は予定通りやって来て、一路広州へと飛ぶ。機内食は、広州から成都のときと同様、ご飯にマーボー豆腐がかかっているものと、パン、ケーキ、ゼリー。今度は、なぜか、マーボー豆腐にかけるはずの辛味調味料の袋にちゃんと切り口が付いている。帰りは順調だ。

ふと隣を見ると、二十歳くらいの女の子が、食事にあまり手を付けずに、うつむいている。顔色が悪く、気分が悪そうで、おそらく乗り物酔いをしたのだろう。かわいそうにと思いながらも、言葉の壁のせいで声もかけられずにいると、もうすぐ着陸という頃に、いきなり処理袋を取り出して、その中に吐き出した。僕は、スチュワーデスを呼んでやり、ポケットティッシュと自分のシートの前のポケットに入っていた処理袋をあげたのだが、その子だからなのか、中国人だからなのか、トイレに立つことなくずっと自席で吐き続けていたのには驚いた。

広州空港に到着したのが予定通りだったため、成田行きの飛行機が出発する時刻までまだ6時間程度もある。まぁ空港でのんびりと過ごせばいいやと、そそくさと国際線専用の建物に移り、チケットカウンターまでたどり着こうとすると、カウンターに至る入口で簡単な、しかし物々しい審査を受ける。誰でもカウンターまで行けるというわけではないらしい。審査をパスしてカウンターまで行くと、成田行きの手続きは、4時間後に始まるとのこと。しかし、この手続きを終えない限りはここから先に進むことができない構造になっており、審査を終えると戻ることもできないため、文字通り進退窮まってしまった。結局、カウンターとトイレしかない空間で4時間も椅子に座って待つ羽目となる。

広州空港はさすが国際線だけあって、カウンターの上にある電光掲示板に表示される行き先は、遠くは欧米、近くは香港と千差万別だ。椅子に座ってぼぉーっと本を読んだり、人間ウォッチングをしたりして時間を稼いでいたのだが、4時間も座っていると、色んなハプニングに出くわして、なかなか面白い。なかでもすごかったのが、インド行きの家族である。7、8人のその家族、荷物がとてつもなく多くて、どれも大きく、まるで引っ越しのようだった。そこでカウンターの職員が、おそらく預かりを拒否したのだろう、途端に客と職員との間で怒鳴り合いが始まった。間もなくカウンターの職員とは異なる黒い制服を着た少し大柄な職員がやってきて、彼らを別室に連行してしまった。カウンターの前には、膨大な荷物が取り残されたままである。すると深緑色の公安の制服を着た職員が、貴重品などが入った鞄を持って立ち去った。次に黒っぽい制服を着た職員が2名、荷物をほどき、中からCD等を始めとしためぼしいものを持って立ち去った。さらに続いて、青色の制服を着た職員が、その他諸々の荷物を持ち去った。山本周五郎の『樅の木は残った』ではないが、結局クリスマスツリーのイミテーションだけが残され、やって来た清掃の職員がゴミ箱の脇にそれを移して立ち去って行った。実際に何があったのか、どういう経緯だったのかは知らないが、端から見る限りではまるで各種公務員による集団略奪のようだ。

アメリカに帰国するというアメリカ人と話をする機会もあった。彼は仕事上の理由により1年ほど中国に滞在していたらしい。この彼から、両替証明書があっても、中国政府による外貨獲得のため、実際は再両替してくれないことを教えて貰ったのである。彼は、中国が管理国家で自由がないということや、中国はとても住める国ではないということを、苦り切った顔で、口酸っぱく何度も繰り返し言っていた。詳しくは聞かなかったが、相当大変な思いをしたようである。

ようやく搭乗手続が開始され、一番乗りで済ませると、2階に上がって、出国審査をパスし、検査場へ。検査場では、極めて厳格なチェックがなされ、靴まで脱がされる始末。きっとあのアメリカ人は相当不満だったことだろう。それからゲートまで行き、元を使い切ろうと免税店でチョコ等を購入。品によって、金額がドルで表示されていたり、元で表示されていたりして、非常に分かりにくいのだが、水も補足的に購入したりすることで、何とかキレイに使い切った。定刻通りJALに乗って帰国。チベット旅行はこうして幕を閉じた。