走らない人が走り始めるとき (14)

シティマラソンを夢見る人 (2021年2月)

一昨年の11月あたりからランニングに真面目に取り組むようになったのだが、そもそものきっかけは高校時代の同級生たちみんなで翌年3月に開催される静岡マラソンを走ろう、と同級生のランニングサークルのリーダーから誘われたからだった。その頃はまだ「新型コロナウイルス登場前夜」である。

その後、年が明けて1月末から2月頭にかけて長期の海外出張があった。パリ、メキシコシティ、サンフランシスコ、ロサンジェルスと移動しながら各都市で早起きをしてランニングをしていたが、海外に行くことすらままならない今から考えると誠に幸せな時間だったと言える。パリのホテルでCNNを観ていたときに中国の武漢で新型コロナウイルスなるものが発生したらしいというニュースをやっていたがまったくもって対岸の火事的な気持ちで聞いていたものである。アメリカに移動した後に同じCNNで「新型コロナウイルスの影響でフランス国内ででアジア人が罵倒されたり叩かれたりする事件が発生している」みたいなニュースが流れているのを見て、「危なかったなー」などと思ったものだ。

日本に帰国して2月のある日、ランニングサークルのリーダーが上京してきたので数人で夜の皇居を走った後に新橋で呑んでいた。「来月の静岡マラソン、どうなるんやろうねー」「いやあ、中止にはならんでしょ」「そんな大ごとになるとは思えないし」「だよねー」などと言い合っていたのだが、それからしばらくして中止が決定。そしてその頃には日本全国のあらゆるマラソン大会が中止になっていた。

それから半年が経った昨年の秋頃、小さな団体が主催するごく小規模なマラソン大会が恐る恐るといった感じで開催された。私の初マラソンもそんな小さな大会の一つだった。参加者はせいぜい数百人、河川敷を周回する無味乾燥なコース、応援する人は運営スタッフだけ。しかしマラソン大会開催を渇望していた私にとっては本当にありがたいイベントだった。

あれからまた数ヶ月。相変わらず大きなマラソン大会は開催されず、先週ランニングサークルのメンバーが走ったのは参加者100人以下の草大会。場所は松戸の江戸川河川敷だった。そして私が再来週末に走ろうとしている大会は葛飾区の荒川河川敷。

何が言いたいかというと、参加者が何万人もいて、公道を何時間か封鎖して、沿道にたくさんの応援の人がいて、というようなかつてのマラソン大会が開催されるのはいったいいつになるんだろうか、ということだ。マラソン大会といえば河川敷の地味なコースをぐるぐると周回するものというのが常識になるのかもしれない。いつかコロナ前の賑やかで、周囲の景色を楽しめる大会を経験してみたい。