ラーメン論考 「近畿6府県ラーメン事情」

ここでは京都府、奈良県、大阪府、滋賀県、和歌山県、兵庫県の6府県におけるラーメン事情について考察したい。まず私の所感を大雑把に述べれば、京都府、和歌山県はラーメン文化が比較的振興しているが、滋賀県、奈良県、大阪府、兵庫県(神戸)については、必ずしもラーメン文化が地域に根付いているとは言えない、というように考えてもらえればいいと思う。

  1. 京都府と和歌山県

まずラーメン文化が比較的振興している京都府と和歌山県の状況から書いていこう。

京都は、京料理のイメージから、淡泊でアッサリとした味付けを好むと考えられがちであるが、少なくともラーメンに関しては例外であり、伝統的に脂っこいコッテリ系のラーメンを好む土地柄である。「天下一品」「京都銀閣寺ますたに」「しるそばたか」などの有力店は首都圏にも店舗を進出させているので、それらのラーメンをイメージしていただければわかりやすい。いずれもテイストは異なるものの、かなりコッテリ濃厚な味付けがなされている。

一方、和歌山は、井出系、車庫前系を2大派閥とする醤油を効かせた豚醤ラーメン、いわゆる「和歌山ラーメン」と呼ばれる御当地ラーメンが有名だ。「和歌山ラーメン」は「旭川ラーメン」などとともに、御当地ラーメンブームの火付け役になったことでも知られており、とりわけ「井出系」の元祖でもある「井出商店」は、現在、ラーメン博物館にも出店しているかなりの人気店。また、その分派である「のりや@大井町」などは東京駅にも店舗を出し、東京を訪れる観光客に対して、和歌山ラーメンの実力をいかんなく見せつけている。さらに新興勢力で言えば「紀一@上永谷」や「戎@西台」などは相当にハイレベルなラーメンを提供しており、首都圏における和歌山ラーメン振興の一翼を担っている。

以上の事実からも判るとおり、京都と和歌山は近畿6府県の中ではかなり高い実力を保持しており、一流店こそ必ずしも多くはないものの、その次のランクに位置する店ならばかなり多い。

ここで別の側面から和歌山県と京都府のラーメン文化の違いについて考察していこう。

和歌山のラーメン文化は、いわゆる代表的な「御当地ラーメン」の文化である。このような「御当地ラーメン」を有する土地を北から順に挙げていくと、

北海道の旭川、室蘭、函館
福島県の喜多方、白河
栃木県の佐野
千葉県の竹岡
新潟県の燕三条
岐阜県の高山
徳島県の徳島
広島県の尾道
熊本県の熊本
鹿児島県の鹿児島

があり、なかでも旭川、喜多方、徳島、熊本などは、和歌山と同等の知名度、実力を誇っている。

しかしながら仮に私が誰かから「旭川はラーメンが旨いよ。住んでみたらどう」と言われたとしても決して首を縦には振らないだろう。それは「ラーメンの種類が単一」であり、すぐに飽きが来てしまうことが解っているからである。例えば、上記の街のラーメン屋をインターネットで検索したときに、驚くほど見事に「御当地ラーメン」しかヒットしてこない。

そしてここにこそ和歌山と京都との大きな相違がある。京都のラーメンには、コッテリ系が主流であるとはいえども多様性が存在するのだ。それはたとえば、「天下一品」「天天有」「たんぽぽ」「ますたに」「新福菜館」「しるそばたか」が濃厚なコッテリ風味を前面に押し出してはいるものの、麺の太さやスープの味がそれぞれ全く異なることからも判る。

これと同様の土地柄を、またしても北から順に並べていくと、

北海道の札幌
東京都の荻窪、八王子、銀座
神奈川県の横浜
福岡県の博多

が挙がってくる。これらの都市を眺めても判るように、ラーメンに多様性がある都市は、御当地ラーメンのみで勝負する都市よりも総じて人口規模が大きいのである。

  1. 滋賀県と奈良県

滋賀県、奈良県のラーメン文化はどうして振興しないのだろうか。両県の人口が一定規模以下であり、ラーメンに関心を有する県民の絶対人口が少ないことがおそらく最大の理由であろう。そもそもラーメンを食べる人がいなければ、ラーメン屋の経営は成り立たない。

この点で、同様に人口の少ない和歌山にラーメン文化が振興していることは、和歌山県民のラーメン対する関心の高さを示すものだとも言える。

ちなみに、ラーメンの全国分布を大雑把に見てみると、

福島と山形の一部を除く東北地方
新潟を除く北陸地方
高山を除く中部地方
徳島を除く四国地方
尾道を除く中国地方

においては、全くの不毛と言ってもよいほどラーメン文化が振興していない。それは、そもそも「ラーメンを食べる」という食文化があるのかという問題提起すら惹起させるほどの不毛ぶりであり、辛うじてラーメン屋が存在するとしても、それはせいぜい、「うまい!安い!早い!」などという文字が赤看板に大書された店くらいのものなのだ。

これらのラーメン屋はもちろん改めて申し上げるまでもなくマズい。いや本当に凄まじくマズい。我々が求めているのは「うまい!」ラーメンであり、早くて安いことは二の次で構わないのだから、そもそものコンセプトからしてすでに道を誤っているということだ。

私は以前、たった一度だけ、1ヶ月間ほど山梨に研修に行った時に研修先の御夫婦に連れられて、この種の店のラーメンを食べたことがあるのだが、これはもう驚くほどの粗悪品であり、それ以降はこの種のラーメン屋には2度と入らないようにしている。

滋賀も奈良も、大別すればこの部類の「ラーメン弱小県」にカテゴライズされるものであって、それ以上の何物でもなく、致し方ない事情であるとも言える。

  1. 大阪府と兵庫県

さて、この論考において最も大きな問題として採り上げたいのが、大阪と兵庫(神戸)の体たらくである。

この2県のラーメン文化の現状たるや、あれだけの大都市(大阪に至っては全国第2位の人口規模を誇る都市)であるにもかかわらず極めて貧弱であり、「お前らはまともにラーメンを食う気があるのか」と小一時間は問い詰めたくなるような状況だ。

私自身が神戸の出身なのであるが兵庫県の惨状は情けない限りである。「芦屋ラーメン」「もっこす」「彩華ラーメン(本店は奈良)」「ふうりん」「希望軒」程度の店に長蛇の列ができるなどというお目出度い事態は首都圏では有り得ないことである。

もちろん、前述した弱小県の「うまい!安い!早い!」の店とは比較にならないものの、例えば私の地元である神戸。地元なので、愛情も込めていささか辛辣なコメントをさせていただけるとすれば、国道2号線沿いには新店も含め、数多くのラーメン屋が軒を連ねているが、どれもこれも似たり寄ったり。レベルの低いドングリの背比べ状態である。

とある関西ラーメン店を掲載したラーメン本に「2国(国道2号線)を制する者は神戸を制す」と書かれてあったが、そもそも制したいという意欲が湧くような店すらないではないか。そのような場合いったいどうすればいいのだ。

より具体的に言えば、まず第一に大阪や神戸には首都圏における「青葉」「麺屋武蔵」「大勝軒」のような店がほとんどない。つまりアッサリテイストを保ちながら濃厚な旨味を出すノウハウがないのではないか。

第二に、未だに首都圏で言うところの「環七時代」の段階から抜け出せていない。つまりわかりやすいコッテリテイストを持つラーメンを作ることのみに重点を置きすぎているのではないか。

「環七時代」、つまり「青葉」や「麺屋武蔵」が台頭するよりも以前の首都圏ラーメン業界において顕著だった特徴として、環七沿線を走るトラック運転手や大食漢の腹を手っ取り早く膨らませるために、いかにもコッテリ系らしいラーメンが一世を風靡したことが挙げられる。すなわち神戸や大阪におけるラーメンは、未だ専ら国道2号線沿いを走るトラック運転手や大食漢のニーズを満たすことを主目的としたマイナーな食べ物に過ぎないということだ。結果は御承知のとおり、これらの「環七時代」に一世を風靡した首都圏における数々のラーメン屋は、2004年現在、一部の例外を除けば没落の一途を辿っている。ラーメンの味が女性受けするものではなかったことと、味が単調であり旨味が平面的であることが大きな理由である。

女性に受けない以上、女性客はもちろんのこと、大口として見込まれるカップルなども店には寄り付かない。たとえ1回か2回は興味本位で食べに来ることがあったとしても、その後は寄り付かなくなるため、安定した客数を継続的に確保することは困難だ。また、味が単調で複雑な旨味を持たないラーメンがやがて飽きられるだろうことは、もはや改めて説明するまでもないことだろう。

ここで、最近における首都圏ラーメン界のトピックスのひとつ、大阪道頓堀の「神座」の新宿進出の例を見てみたい。

「「神座」はこのラーメンで東京に殴り込みをかける。「神座」は関西ナンバーワンの人気店。このラーメンをひっさげて全国のラーメン業界を変える!」

まずそもそも「「神座」のラーメンは本当に関西ナンバーワンなのか。看板に偽りありなんじゃないか」という根本的な疑問があるが、それはさておき「神座」のレベルでは、最初は物珍しさが受けて行列ができたとしても、決して長続きはしないだろう。1年後にはあのだだっ広い店内に数羽の閑古鳥が飛び回っているはずだ。

新宿は首都圏においても「麺屋武蔵」「古武士」「もちもちの木」「湯一」「風来居」「はやし家」「くじら軒」などの数々の一流店を擁する激戦区のひとつであるが、もし仮に「神座」がこれらの店と勝負して勝てると本気で考えているのだとすれば、これは首都圏のラーメンのレベルを過小評価する愚か者の所業である。

新宿は「金龍ラーメン」と勝負して一喜一憂できるような平和な街では決してない。青葉インスパイア系の中でも高い完成度を誇る「古武士」ですら、満を持して歌舞伎町にオープンさせた支店の味が、新宿御苑前の本店よりもちょっとばかり落ちるという理由で客が入らず(実は他にも色々な事情はあるらしいのだが)、この度撤退を余儀なくされたのである。

新宿と道頓堀とでは、鼻が大きかったりわずかに顔が大きかったりするだけですぐさま3、4番人気に降格してしまう一流モデルの世界と、ちょっと顔が良ければすぐに1番人気になれる地方の短大の世界くらいの違いがある。そもそも基礎体力そのものが違うのだ。まあ私がここまで言わなくとも、東京の一流店でラーメンを食べている人であれば誰でも、すぐに「神座@歌舞伎町」の寿命が長くないことくらいは判る。「浪速の裸の王様」というわけだ。

ことラーメンに関して言えば、首都圏と大阪、神戸との間にはそれくらいのレベルの差異があると言っていい。

ではいったいこの差異はどうして生まれるのだろうか。私は、多様性のあるラーメンが、ある土地でひとつのカルチャーとして根付き振興していくためにはいくつかの前提となるべき条件が必要なのではないかと考えている。

その前提条件とは、

(1)そもそも、その土地に「御当地ラーメン」のような、その土地の風土に根ざした独自のラーメンカテゴリーがあらかじめ存在すること。
(2)一定程度以上の人口規模を持った都市であること。
  
の2点である。

(2)の条件が必要である理由については、和歌山と京都の比較の下りで既に書いた通りであり、この条件に関して言えば、大阪も神戸もその水準は十分に満たしていると考えていいだろう。だが(1)の条件について、首都圏と大阪、神戸では決定的な隔たりがあるのである。

実は、東京にも横浜にも「御当地ラーメン」とも呼ぶべきラーメンジャンルが存在している。東京には「支那そば」があるし、横浜には、歴史はそれ程古いものではないにせよ、吉村家、六角家、本牧家など「家」の屋号が付くラーメン屋、いわゆる「家系」と呼ばれる御当地ラーメンがある。札幌の味噌や博多のトンコツと同様、もともとラーメンがその土地の人間からニーズとして求められている土地柄なのだ。

一方「果たして大阪や神戸にこのような御当地ラーメンが存在するのか」と問われた場合、「存在しない」と回答せざるを得ないのではないか。誤解を恐れずに言えば、大阪や神戸の人間は元々ラーメンを食べることをそれ程求めていなかった。全体的にラーメンに対する関心が薄いのだ。

ラーメンもひとつの食べ物である以上、それを食べたいと望む人間がいてこそ、はじめて文化として根付き、振興する。食べ手がラーメンの旨さを追求しない限り、旨いラーメンなど誕生しないし、もちろん名店なども生まれやしない。哀しいかな。はっきり言ってしまえば関西人はラーメン音痴なのである。

しかしながら去年の暮れあたりから、哀れなほどに貧弱なラーメンカルチャーしか持ち合わせていなかった大阪、神戸エリアにようやく一筋の光明が差してきたようだ。

まずは、首都圏有力店の進出。西宮に「大勝軒@東池袋」の支店がオープンし、大阪・ミナミに「くじら軒@センター北」が支店を出店した。

さらに、首都圏のラーメン界ではもはや当たり前となっている動物系スープと魚介系スープをブレンドするダブルスープという手法でラーメンを作る店がようやく現れた。天満の「洛二神」という店がそれである。この店については、首都圏在住のラーメン・フリークたちも口を揃えて「関西では一押し」と賞賛しているので、間違いなく従来の大阪、神戸のラーメンとは一線を画する出来映えに相違ない。

彼らが大阪人、神戸人に本当のラーメンの旨さを布教してくれることを、そしてこのムーブメントが大阪、神戸のラーメンカルチャーに旋風を巻き起こしてくれることを願って止まない。