ラーメン課長日誌「麺日和」

2004年1月1日~2月14日の記録

1月1日(木)

本年から「私が普段どのようなラーメンをどのようにして追い求め、そして食べているのか」をありのままに綴った日記を書いていくことにしたい。

一杯のラーメンを探し求めて三千里。
九里四里うまい三千里。

食べたラーメンが予想よりも旨けりゃ、ワナワナと諸手を挙げて喜び、遠路の旅の果てにありついたラーメンが旨くなけりゃ、オロオロと涙を流す。時には、強行日程で1日3、4杯ものラーメンを食べなければならない羽目に陥り、悲鳴を上げる胃に対して謝りながら、スープを無理矢理食道に流し込むこともある。

また時には、車を使ってまでして向かった店が敢えなく「スープ切れ終了」してしまっており、かといって、その後に違うラーメン屋に向かうことができるような時間的余裕もなく、シャッターが降りた夕暮れ時の店の前にしゃがみ込んでしまうこともある。

寒空や炎天下の中、2時間を超える行列の群れに混ざり、やっと、待ちに待った一杯を食べる頃には体調も悪化。ラーメンを食べるどころのハナシではなくなってしまうこともある。

そのような悲喜こもごもを含めてラーメン食べ歩きの醍醐味なのだ。ラーメンを食べることだけがラーメンの楽しみ方ではない。以下の日記を通して、皆さんに少しでもそれが伝われば、私にとってそれ以上の喜びはない。

1月2日(金)
今年の「麺初め」は、神戸三宮の「山笠ラーメン」。ラーメン道に生きる者にとって、その年をどのようなラーメンで始め、そしてどのようなラーメンで締めくくるのかについては、一般人が考えるよりも遙かに重大かつ深刻な問題だ。一年の最初に食べるラーメン屋を「麺初め店」、その一年で最後に食べるラーメン屋を「麺納め店」といって、特別な敬意を払って臨むことが不文律になっているほどだ。

ちなみに、私の去年の「麺納め」は12月30日の昼に食べた「めんやもも@一之江」の醤油ラーメン煮卵入りであった。

神戸に実家がある私は、今年の麺初めはできれば「新福菜館@京都」にしたいなぁと考えていたのだが、帰郷が1月2日に延び、その日に友人たちとの会合があったため、神戸から京都までの距離や時間的なロスをも考慮すれば、その選択肢は放棄せざるを得なかった。

よって、地元の友人に旨いラーメン屋を紹介してもらうこととなり、その友人の薦めにより食べたのが「山笠ラーメン」だったのである。

「山笠ラーメン」は博多トンコツラーメンを心持ちライトにしたような感じのラーメン。具は大抵の博多系ラーメン同様、旨くないが、一杯(ラーメンじゃなくて酒のほう)やった後の締めのラーメンとしては無難な感じ。その後、友人宅に泊まり、1年ぶりの邂逅に、しばし時を忘れた。

1月3日(土)
この日は実家の親と行動を共にしたため、ラーメンはお休み。うどんを食べた。関西はうどんが旨い。

1月4日(日)
この日をもって年末年始の休暇も終わり。明日から仕事が始まる。

午後から所用があって、ラーメンを食べることができないことはわかっていたので、午前中に神戸の家を出て「希望軒@夙川」へと向かう。角煮ラーメンをライスとともに戴く。親友Nが「阪神間における国道2号線沿いのラーメン屋の中では1番かも」と言っていた有名店だ(やけに限定条件が多いが)。

角煮がパサパサであったことには閉口したが、麺もスープもそこそこ旨かった。ハマればリピートもあり得るのではないか。

1月5日(月)
今年の仕事始めの日。ランチとして「めん徳2代目つじ田@麹町」へと向かう。我が職場におけるランチタイムは12時から13時までの1時間。永田町に職場があるので、赤坂、麹町あたりまでならランチ圏内となるが、それ以遠ともなれば、ランチタイムをフルに使ったとしても食べに行くのは困難だ。

「めん徳2代目つじ田」は昨年末に放送された日テレの「全国ラーメン店ベスト77」で採り上げられた店。この番組を観るまでこの店の存在を知らなかった私は、年が明けたら、最初に食べておきたい店として密かにマークしていたのだ。

携帯の地図を片手に目的地を目指すが、かなり迷う。どうも麹町方面に入り込みすぎたようだ。「つじ田」は正確に言えば、麹町ではなく平河町に店を構えている。30分ほどウロウロと迷い、12時30分過ぎにようやく目的地にたどり着いた。

行列先客は5、6名程度。役所に少し戻りが遅れる旨を連絡し、2代目ラーメンをデフォルトで食べた。麺、スープ、具ともに良いが、とりわけ攻撃的なほどに強烈な煮干しの香りには魅力を感じた。職場からの距離、アクセスの良さなどを考えれば、今後、私のランチローテーションに加わってくることは確実だろう。

夜は、「鴨しゃぶ鴨ラーメン竹亭@赤坂」で鴨ロースラーメン。日が落ちて外がグッと寒くなっていたので歩くのがつらくなり、職場の前でタクシーを拾ってそのまま直行。結果的にこの行動が明暗を分けることとなった。20時から大口の予約が入ってしまっており、貸し切り状態になるところだったのだ。私が店に到着したのは19:30だったから、あわやのタイミングだったというわけだ。

スタッフの女性が「申し訳ございませんね。あと30分でラーメン、食べることができますでしょうか。あわただしい状況になってしまって本当に申し訳ございません。」と何度をアタマを下げる。私が本日最後の「飛び込みの客」らしく、店内に同じような境遇に立たされている者はいない。そのことが私を焦らせはしたが、果敢にも「30分あれば大丈夫です、お気遣いありがとうございます」と応える。

ロース鴨ラーメンを注文。値段が1,800円とラーメンにしては破格に高かったが、さすが鴨の専門店だけのことはあって、具の鴨肉の品質がすこぶる良い。これはこれで新しいラーメンのひとつの形なんだろう。

ラーメンのみでは申し訳なかったので、サイドメニューとしてウーロン茶(450円)を頼む。しかし、店のその女性スタッフが私を急かせたことに気を遣ってくれ、何とラーメンのみの1,800円の支払いで良いと言ってくれるではないか。「気持ちばかりですが」と言って1,900円を払い、店を後にした。心が洗われたような清々しい気分になった。

1月6日(火)
この日は、何を食べたのだろうか。なぜかよく覚えてはいないのである。ランチは近くの店でパスタを食べたことだけは覚えているが。

1月7日(水)
この日は夕方から外せない用事があったため、止むを得ず麺休。2日間連続でラーメンを食べなかったことに危惧の念を抱く。

1月8日(木)
ランチは、昨年末の麺納めとして予定していた赤坂の「赤とんぼ」へと向かう。12月30日は夕方から銀座で用事があったため、「めんやもも」の後、赤坂に立ち寄って「赤とんぼ」でラーメンを食べるつもりだったのだ。ところが、「めんやもも」で食べた後都営新宿線一之江駅から携帯で「赤とんぼ」に連絡してみると、「今日は、昼までで営業を終了します」と言うではないか。一之江駅から携帯で電話したのが15時前後だったから、これは今から現地に向かってもフラれる可能性が高いと判断し、年始早々に食べに行くことに決めたのである。

初めて向かう店だったので、素直にラーメンを頼んだ。とりたててこの店ならではの特徴はないが、大量の煮干しを惜しげもなく使用しているため、スープから立ち上る煮干しの匂いが強烈でしみじみと味わい深い。

夜は、昨年末に一度フラれた「メンタツ@高輪台」に、地下鉄を2回乗り継ぎつつ向かった。19:30。時間的にはかなりの余裕をもって向かったつもりだったのだが、店の前には「本日は休業します」の貼り紙が。

「メンタツ」にはこれで立て続けに2度フラれたことになる。「ここまで苦労して辿り着いたのにこの仕打ちかい」と何かに怒りをぶつけたくなるが、それで閉じられた店のシャッターが開くほどラーメン食べ歩きの世界は甘くない。

知恵を絞って代替案を考えたところ、都営浅草線沿線であれば「醤屋@馬込」の「黒」も極めて魅力的な選択肢であったものの、距離的には、「平大周味庵@大崎広小路」がほど近いことを思い出し、タクシーに乗って現地に向かう。

背脂ギタギタ系のファンである関西在住の親友Nに報告すれば、彼も喜ぶことだろう。特製ラーメンを大盛り、味付け卵入りで頼んだ。スープの味に安定感がない。全く味がしない背脂ギタギタ系ラーメンを食べきるのは難しい。胡椒をふりかけると、少しは食べることができるような状況となった。

1月9日(金)
そろそろこのあたりで、赤坂の「ラーメン屋秀」はクリアしておきたい。これは私のささやかな願望でもあった。現在、私はどのような基準によりラーメン店を食べ歩いているのかと言えば、「石神本2003~2004」の掲載店を地道に地道に潰しているのである。

ちょっと、ここで私のラーメン食べ歩き遍歴を紹介しておきたい。実は、私にはかれこれ1年あまりのブランクがある。法律策定の仕事に駆り出されていたのだ。

まずは、入省3年目から4年目半ばまでにかけてのかれこれ1年と6ヶ月間で(1999年~2000年あたりの時期に相当)、東京都内、神奈川、埼玉界隈のラーメン屋を精力的に食べ歩いていた時期があった。その時期に採用した方法が、TVチャンピオンラーメン王選手権で第3,4代目ラーメン王に輝いた石神氏がオススメのラーメン屋をリストアップしたいわゆる「石神本」掲載店をエリアごとに地道に潰し(食べ歩き)、副教本として第5代目ラーメン王に輝いた立石氏が書いた「立石本」などを持ち歩き、とにかく彼らがオススメするラーメン屋は片っ端から食べ歩きまくっていたのだ。

この1年半で大体、6~700杯は食べたと思う。その後、石神本掲載店のうち東京都にある店はほぼすべてクリアし、立石本をクリアした後は、、ラーメン系のHPの新店情報などを探り、情報に従って、着実に既食店舗数を増加させていった。その後、2年前の春から夏にかけてなど、短期的にラーメン食べ歩きを再開させたことはあったが、諸事情によりそれが習慣として定着するまでには至らず、今回、久々に本格的な食べ歩きを再開させようと心に誓ったというわけである。

ラーメン業界は栄枯盛衰が目まぐるしい世界である。2年もブランクがあると新しい有力店が数多く生まれ、また、一方で2年前には有力であった店が堕落するなど、1度はクリアしていたはずのエリアにもいつの間にか「穴」が生まれている。現在、その2年間の間に生まれた穴を補修する作業を行っているというわけだ。

で、港区はそのような意味において「大穴」が空いてしまったエリアだった。2年前の有力店は、「茂助」「笑の家」「盛運亭」などであったのだが、現在は「ラーメン屋秀」「竹亭」「赤とんぼ」「メンタツ」へと様変わりしている。

「ラーメン屋秀」もその中のひとつだった。実は昨年末「麺喰王国@渋谷」で支店のラーメンは食していたが、とてもじゃないが納得できるようなクオリティではなく、東京における本店のような位置づけだった赤坂店に目標を定め、限定メニューの「もつそば」を食べた。これは旨かった。

夜は学生の友人であるRとHと3人で「麺喰王国@渋谷」。「好来」の黒ラーメンを煮卵入りで食べた。こちらは、スープの味が酸味で滅茶苦茶になってしまっており、旨くはなかった。

1月10日(土)
夜から日本橋で女性と会うことになっていた。もちろんラーメンを御馳走してあげるつもりである。土曜の夜に日本橋付近で営業している店で旨い店はほとんどない。だがどうにかして彼女に旨いラーメンを食べさせてあげたい。ラーメンという食の魅力を理解してもらうためには、そういう草の根からの地道な布教活動を怠ってはならないと信じている。千里の道も一歩からと言うではないか。

昼間は自宅に籠もり、今夜彼女と向かうラーメン屋をどこにしようかなどと考えていたが、いくら考えても良い知恵が思い浮かばない。ここは旨いラーメンでも食べて気持ちの切り替えを図った方がベターなのではないかと考え「熟成鶏醤油らーめん上弦の月@蒲田」に向かった。ここは蒲田のみならず都内でも有数の行列店として有名な店なのだが、おそらく最近マスコミに採り上げられたのであろう。余裕をもって17:30の開店時間よりも15分早く店の前に到着したのだが、既に60人程度の客が長蛇の列をなしており、列の長さは目分量で30メートル以上にも及んでいる。

それでも2時間はかかるまい、待ってもせいぜい1時間30分程度だろうと予想し、敢然と行列に加わったが、それがとんでもない大誤算で、結局2時間30分以上待って、ようやく待望のラーメンにありつけた。蒲田商店街のスピーカーから1997年頃に流行った邦楽がオムニバスで流れていたが、行列中にそれが3巡したことには呆れ返ってしまった。

行列中にも夜に向かうべき候補店をあれこれ考えていたが良い選択肢が浮かばず、結局「じゃんがららーめん日本橋店」でぼんしゃん味玉入りを食べた。不完全燃焼である。

1月11日(日)
この2年間のブランクの間に大きく穴が空いたエリアのひとつ、杉並区を攻めた。

昨日の疲れからか昼過ぎまで爆睡してしまい、激しい自己嫌悪に陥る。夕方からタクシーに乗って営団東西線の東陽町駅に向かい、三鷹行きの東西線に乗り込んだ。今日の目的地は「翔丸@西荻窪」と「我流旨味ソバ地雷源@方南町」だ。

西荻窪で下車し、そのまま商店街を南下。「翔丸」は広い通り沿いではなく、一本に内側に入った細い道沿いにあったので、店を探し出すのに難渋する。この日は寒さがとりわけ厳しく、凍えそうになりながら、つけ麺のあつを大盛りで頼む。

食後、引き続きJR中央線に乗り込み荻窪に向かい、営団丸ノ内線に乗り換え。中野坂上で2両車両に乗り換え、方南町へと向かう。これは車を持っている人間からすれば、とんでもない遠回り。しかし私は車を持っていないのでこうする以外に術はないのだ。

方南町は2年前に付き合っていた彼女が住んでいた街だ。一昨年の夏に別れてから1度も足を向けたことはなかったので、かれこれ2年ぶりの来訪になる。最後に別れ話をしたロイアルホストは今もあるのだろうかと思い、辺りを見回した。「あれ。ない」と思ったら逆方向にあって少し安堵する。

そのまま環七沿いを歩いて二叉を環七ではない細い道に入ったところに「地雷源」はある。「さっきの『翔丸』とは違ってわかりやすい場所にあるから有難いな」などと考えながら歩いていたら、なんだか以前見たことがあるような風景に出くわした。「おかしいな」と思い、考えてみたら、店とは逆方向に向かって歩いているではないか。そちらは元カノのアパートの方向だ。慌てて引き返す。寒いのに大きなロスをしてしまった。

「地雷源」の店の前には独り身の私に見せつけかのようなカップルがひと組。10分ほど待ったら店の中に入れた。鶏油魚粉ソバを注文。

1月12日(月)
祝日。が、昨晩は早めに寝たから比較的早い時間に目が覚めた。この日は昼過ぎに大井町で友人Tと会うことになっていたが、まだ幾分時間に余裕があったため、自宅から営団東西線の南砂駅まで歩く。

南砂駅から昨日とは逆方向に向かう東西線に乗り込み「夢うさぎ@西葛西」へ。この店、西葛西駅からは結構な距離があり、携帯の地図を片手に15分程度歩いた。店に着いたら入口の前に10人程度の行列ができていた。

入口の前に小さなウサギの像が置かれている。なかなかチャーミングな外観だ。なんだかほのぼのする。特製ラーメンを大盛りでいただいた。周囲の様子を観察すると、客の大半がつけ麺を注文している。私もラーメンを食べた後、つけ麺を連食しようかと考えたが、外を見ると行列が22人にまで膨らんでいたので、迷惑になるだろうと思い、日を改めて再訪することにした。

夜は、大井町でパスタ。ラーメン以外の物を食べたのは5日ぶりか。

1月13日(火)
3連休も終わり、また仕事が始まった。この日のランチは「赤とんぼ@赤坂」でつけ麺大盛りのあつに味付け卵をトッピング。この店のつけ麺は、ラーメンの2倍以上の麺量があり、気持ちの準備ができていなかった私は予想外の悪戦苦闘を強いられる。が、とりあえずは完食。

夜は、今の職場の最寄り駅である永田町から営団半蔵門線に延々と揺られて「田中商店@梅島」へ。恐ろしく寒い日で、梅島駅から環七にある「田中商店」に向かうまでの間、何度も挫けそうになったが、その都度「ここまで来たんだから、もう少しの辛抱だ」と自分自身を叱咤激励する。

幸いなことに待たずに店内に入れた。まあ「田中商店」は席数が多いから当然と言えば当然か。ネギらーめんを最初はバリカタ、替玉はハリガネで注文。田中商店名物の「赤オニ」には触手が動いたが止めておいた。

1月14日(水)
仕事終了後、役所の前ですぐにタクシーを拾い「ラーメン○玉@両国」へと向かった。地鶏の滋養味が溢れた、素朴ながらもしみじみと旨いラーメンだった。あまりにも外が寒かったので、「○玉」で食べた後、そのまま大江戸線に乗って自宅に帰った。

1月15日(木)
仕事終了後、営団半蔵門線に乗り込み竹の塚へ。目的地はもちろん「GEN’Sラーメン@竹の塚」の新メニュー「新こてり」だ。「新こてり」は博多トンコツでも熊本トンコツでもない、全く新しい「GEN’S」ならではのラーメンだ。味もさることながら、その丁寧なラーメンづくりにも感動した。その後、日比谷線に乗って八丁堀から京葉線で帰宅。

1月16日(金)
仕事終了後、またもや営団半蔵門線に乗り込んだ。今回は押上駅で乗り換え、京成線を使って四ツ木で下車する。目的地は「まんまる@四ツ木」である。四ツ木と言えば「まんまる」だ。駅から店まで向かう道中は寂れた趣であり、大のオトナでも少々怖いくらいだったが、「まんまる」そのものはお洒落で明るい雰囲気の店である。デートにも使える店として紹介されたそうだが、そこまで言うのは大袈裟か。それ以前の問題として、そもそもこんな辺鄙なエリアに女性を連れて行って果たして喜ばれるのだろうか。

金曜日なのでもう1軒くらい足を延ばしても明日に影響が及ぶことはない。私は2軒目の照準を「麺香房天照@堀切菖蒲園」に定め、適度にお腹を空かせるために四ツ木駅には戻らず、そのまま堀切と思しき方向へと歩き始めた。が、何を間違えたのか立石駅に着いてしまったではないか。北に向かって歩いていると思っていたのに、東に歩いていたのだ。

京成立石と言えば「けんけん」という葛飾区有数の名店があり、しかもその店は駅の目の前にあるのでかなり触手が動かされたものの、この店は既食だったので我慢してそのまま店の前を素通りする。

が、もはや私には立石駅から電車で青砥駅まで出て、青砥駅で電車を乗り換え2駅戻るだけの気力はなかった。立石駅でタクシーを拾い、堀切菖蒲園に向かう。タクシーに乗ってみて初めて判ったが、四ツ木から堀切菖蒲園までは結構な距離があった。極寒の中、歩いて乗り切ろうとするには相当な無理がある。

「麺香房天照」はラーメン屋というよりもエスニック料理店と言った方がピッタリするような外観で、これはと期待させるものがあった。が、出てきたラーメンは麺が伸びきっているどころか、いくつかの麺が束になっているような惨状。スープも色んな素材の旨味がごちゃごちゃになってしまっており、はっきり言って全く旨くない。特にメンマ。切り方が悪いのか、いくら咀嚼しようとしても噛み切れないほど固いのだ。これには怒るというよりもむしろ呆れた。

しかしラーメン道を志す者にとって完食以外の選択肢は存在しないものと考えるべきである。完食してこそ初めてその店のラーメンを食べたことになるのだ。私は痛烈な吐き気に襲われながらも、何とかラーメンを平らげ、苦悶の中、自宅に帰ったのであった。

1月17日(土)
昨日をもって、こと石神本掲載店に関しては、東京東部エリアのラーメン屋をすべて食べ終えたことになる。次は東京23区北西部だ。特に練馬区。2年前と様相が様変わりしてしまっており、既食店が全くない。

そこで私はこの日の目標を練馬区における石神本掲載店3店舗(「国上屋@大泉学園」「らーめん・つけ麺十兵衛@石神井台」「じゃんず@練馬」)の完全制覇と定め、朝からラーメン食べ歩きの同士を募るなどの行動を積極的に開始していた。

熱意ある勧誘行動の結果、9日に渋谷で会った学生Hから承諾の返事を戴いた。彼曰くH報堂のOB訪問が昼にあるとのことだったので、彼とは夕方に練馬で落ち合うことにし、私は一足先に練馬区に入り、攻略できる店から攻略しておくことにした。

練馬3店の営業時間を見比べながら、どの店から先に食べるべきかを真剣に考える。土曜日の3店の営業時間は、それぞれ「国上屋」が昼の部が14時まで、夜の部が18時から20時半まで。「十兵衛」が昼の部のみの営業で11時から16時まで。「じゃんず」は夜も営業する。私を乗せた西武池袋線が練馬に到着するのは13時過ぎだ。この日1日で3店舗を完全に押さえるためには「じゃんず」は夜、学生Hと食べればいいとして、「国上屋」と「十兵衛」の2店をどのように回るのかに係ってくる。

これがどちらも大泉学園駅の近くにある店であれば、さほど難しい問題ではない。遅く見積もっても13:20に大泉学園駅に到着するとして、14時に昼の部が終了する「国上屋」を先に片付け、それから「十兵衛」に行けば良い。しかし石神本を見る限り、事情はそれ程甘いものではなかった。「国上屋」と「十兵衛」は大泉学園駅を挟んで北と南、全く正反対の方角にある。しかもどうやら「国上屋」はバスに乗らなければ難渋するような場所にあるようなのだ。「十兵衛」も駅から徒歩圏内にあるとはいえ、徒歩で15分かかるとある。この2店をこれから16時までに攻略せよと言われているわけである(誰にも言われていないが)。

また「十兵衛」は昼のみの営業であり、しかもこの界隈随一の人気行列店。16時直前ギリギリの到着ともなれば、スープ切れでフラれる可能性が高い。さてどうしたものか。私は絞れる限りの知恵を絞って打開策を考えた。このような頭脳戦をしばしば強いられるところもラーメン食べ歩きの醍醐味であり真骨頂でもある。

結局、駅からすぐにタクシーを拾って「国上屋」に直行し、行列の有無や待ち時間にもよるが、そこですぐにラーメンを食べて、とんぼ返りで大泉学園駅に引き返し、その足で即座に「十兵衛」に直行という作戦を採ることにした。

先に「十兵衛」に向かった場合、確実に「国上屋」の昼の部を断念しなければならなくなる。最悪の場合「十兵衛」はスープ切れで営業を終了してしまっており、かと言ってもはや「国上屋」の昼の部には到底間に合わないといった事態も想定された。一方、先に「国上屋」に向かえば、少なくとも夜の部の営業がある「国上屋」にフラれることはないので、「虻蜂取らず」という最悪の事態は回避できる。

結果的にこの戦略は見事に功を奏し、13:45に「国上屋」に到着。その後、幸運なことに大泉学園を経由して上石神井に向かうバスにまでタイミング良く乗り合わせることに成功し、14:30には「十兵衛」の前に到着。両店ともに攻略することに成功し、意気揚々と練馬へと引き上げていったのである。

その後練馬駅のホームのドトールで18時に合流する学生Hを待つ。学生Hから17時頃に連絡が入り、女の子を連れてくるようだ。複雑な気分である。複数とは言っていなかったので、きっとひとりだろう。であれば、来ていただいたとしても全く身動きが取れないじゃないか。こちらが全く身動きできない以上、この措置はむしろ苦行となる。女の子が美人だったりすれば尚更だ。複雑な気分でHを待つ。登場したHに同行していた女の子はなかなかの美人であった。苦行だなと心の中で呟く。その後少し3人で談笑し「じゃんず」でこの日3杯目のラーメンを食べた。

1月18日(日)
昨日一挙に練馬区の3軒を食べきった。その余勢を駆って、本日も午前中から精力的に活動したい。という立派な心構えだったはずが、昨晩から読んでいた小説がちょっと反則なくらいに感動的だったため涙が止まらない。ラーメン課長はロマンチスト課の課長でもあるのだ。腫れた目が元に戻るまで幾ばくかの時間を要したためスタートが遅れ、14時過ぎにようやく新木場の自宅を出た。

この辺りで東京北西エリアの店はあらかた片付けておきたいという目標があったので、第1ターゲットを「麺彩房@新井薬師」、第2ターゲットを「萬福本舗@南阿佐ヶ谷」に定め、営団東西線の東陽町駅から中野まで一気に駆け抜けた。

中野付近は、私が以前4年間ほど住んでいたことがあり土地勘もあるのでと高を括っていたら、「麺彩房」の位置を脳内で勝手に北上修正してしまっており、散々迷う。あまりにも変だと思い携帯の地図で確認したら新井の5叉路付近だった。西武新宿線の線路付近をウロウロしていたじゃないか。

ようやく辿り着いた麺彩房。が、全く人気がない。瞬間の状況判断によりスープ切れ終了であることを悟る。それにしても営業時間は20時までで、今はまだ16時。いくら何でも営業終了が早すぎるんじゃないか。どうやらこの店、私の予想を遙かに超える人気店のようだ。完全に見立てが甘かった。このような事態を想定してもっと早い時間に家を出るべきだったのだ。人気店来訪の際には、こういうちょっとした油断が致命的な事態を招来することが多い。決して公式に発表されている営業時間を信頼してはならないのだ。私は20時までの営業であれば4時間の余裕を見ておけば大丈夫だろうと考えていた。これは油断以外の何物でもない。

ただ、ちょっと困ったことになった。東京北西エリアで残されている石神本掲載店は「麺彩房」以外ではあと2つ。「萬福本舗@南阿佐ヶ谷」と「欣家@西台」だけだ。いずれもここからはかなりの距離がある。距離的には南阿佐ヶ谷の方がやや近い。16時時点で新井薬師では西台に着くのは早くても17時を過ぎてくる。「欣家」の人気から考えれば、もはやタイミング的には遅すぎたと考えて間違いなかろう。となれば残るは「萬福本舗」しかない。「萬福本舗」はトンコツラーメンの店だからまだ営業は終了していないだろう。

トンコツラーメン系の店は原則、一回で大量のスープを作ることが可能なので、スープ切れ終了という事態に遭遇することは比較的少ない。ただ、ここから新中野まで歩いて営団丸ノ内線に乗るのはかなり億劫だ。「麺彩房」をクリアしているのならばともかく、本日はまだゼロ完なのだ。気分が乗らない。よって私はタクシーを拾い、そのまま南阿佐ヶ谷まで直行することにした。

私を乗せたタクシーが南阿佐ヶ谷に着いたのは16:30頃。私の目算どおり「萬福本舗」は営業していた。先客は3名。席数は15、6席はあるだろうから、ちょっと寂しい風景だ。ラーメンに味付け卵を付けて、サイドメニューとしてチャーシュー丼をオーダーした。この日は、これ以上気力が保たずそのまま帰宅した。

1月19日(月)
業務終了後、今回こそはということでタクシーを走らせ「メンタツ@高輪台」へと向かう。この店には過去に2度もフラれている。いわゆる因縁の宿題店というやつだ。というわけで今回はフラれることがないよう、先週の金曜日に電話で月曜日の営業の有無を確認しておいた。「じゃあ、月曜日は空いているんですね」と訊いたら「はい」と答えている。つまり今回こそついに待望のラーメンにありつけるわけだ。

それでも油断は禁物。スープ切れ終了の事態もあり得るということで、十分な時間的余裕をもって19:30に現地に着いたら、また「本日は都合により休業いたします」の貼り紙が。2度ならず3度までもフラれたわけだ。金曜日の店主の「はい」との返事はどういうことだったんだ。改めて振り返って考えてみたら確かに思い当たる節はあった。店主の「はい」という返事の歯切れがどうも悪かったような気がする。果たして、「メンタツ」はいつ営業しているのだろうか。私がメンタツでラーメンを食べることができる日はやってくるのだろうか。

タクシー代1,860円は空しく消えた。しかし、ここで悄然と帰路に就くようではラーメン課の課長としては落第だ。早急に打開策を見つけねばならぬ。前回とは異なり「平大周味庵」は選択肢の中から消えている。「醤屋@馬込」の黒も気分じゃない。未食店の「メンタツ」がクリアできているのであればともかく、ここまで来て既食店のみで満足することは私には無理だ。

前回と同じく五反田駅の灯りが高台から見える。となれば、「えにし@戸越銀座」に向かうか「いちばんや@自由が丘」まで足を延ばすかのいずれかのオプションをとることが適切だ。ただし「えにし」は今年の初めに恵比寿から移転したばかりであり、フリークが大挙して押し寄せていることだろう。このタイミングではきっともう手遅れだ。というより、そもそも月曜日は「えにし」の定休日だ。

選択肢の中から「えにし」が消えた。残るは「いちばんや@自由が丘」しかない。五反田から自由が丘は東急池上線で旗の台まで向かい、そこで大井町線に乗り換えなければならない。何という遠回りだろうか。しかし、ここは行っておかなければならない。すでに携帯で店には連絡し、営業していることは確認できている。となればここで踵を返すわけにはいかない。ラーメン道は時にこういう自分自身との闘いを強いられる場面もあるのだ。

20時30分過ぎに「いちばんや」に到着。いちばんや厳選3種入りらーめんの大盛りにまぐろ香味焼をトッピングした。

1月20日(火)
「いちばんや」のクリアが結果的に私の東京南西エリアの攻略意欲を刺激し、業務終了後迷わず東京南西部に向かうことにした。本日の戦略は「支那そば八蔵@幡ヶ谷」にどこかの店を加えたいといったところ。「ラーメン論考」のコーナーのネタにもしている「神座」の味も再確認しておこうということで、2軒目の店として「神座@新宿歌舞伎町」もターゲットにした。

赤坂見附から営団丸ノ内線に乗り込み、新宿で京王新線に乗り換え、幡ヶ谷へと向かう。地上に出たところで南北の方向感覚が狂い、南方向を北方向と錯覚してしまったミスにより2~30分迷ったが、何とか「八蔵」にはたどり着けた。つけ麺の中(麺の量は320g)をシンプルに注文する。あつ
で注文するのを忘れてしまったが、たまには冷水で締めた麺を食べるのもいいだろう。

その後、もう一度幡ヶ谷駅に引き返し、新宿を出て延々と歌舞伎町まで歩くことが面倒になり、そのままタクシーで歌舞伎町へと向かった。「神座@新宿歌舞伎町」で煮卵ラーメンを硬麺で注文。出来がかなり悪く、半分以上食べ残してしまった。このレベルで関西ナンバーワンとは笑わせてくれるじゃないか。

1月21日(水)
「支那そば八蔵@幡ヶ谷」のクリアにより、東京南西エリアで手つかずの店を多く残しているエリアは、世田谷区のみになっていた。世田谷区随一のラーメン王国と言えば、経堂をおいて他にない。ここは数々の名店が凌ぎを削る極めてハイレベルなエリアであり、「はるばるてい」「ろくあじ」「らあめん英」「季織亭」そして、最近のラーメンシーンにおける台風の目である「稲荷」などの一線級の店舗が軒を並べている。

石神本掲載店で私が食べ残している店は「季織亭」、個人的に是非とも食べに行きたい未食店は「稲荷」であり、この両店を一気に食べることができればこれ以上の幸せはないのだが、平日の夜20時前後にノコノコと向かってラーメンを食べさせてくれるほど「稲荷」は甘くない。

よって私はその日のターゲットを第1目標「季織亭@経堂」、第2目標を経堂ならぬ梅ヶ丘の「白河中華そば一番・胤暢番」に定めていた。が「白河中華そば一番・胤暢番」に営業確認の連絡を入れたところ「今日は午前中でスープ切れになりました」と言う。「季織亭」は営業しているようだ。よって、私は第2目標を「らあめん英@経堂」へと変更し、距離的にも近接しているこの2店に行くことにした。ちなみに「らあめん英」は未食ではなくかれこれ2年半ぶりの再食となる。

「季織亭」で特選醤油拉麺をごはんセットでいただき、その後の「らあめん英」ではラーメンをスープこってり、麺はバリカタでいただく。ネギと味付け卵をトッピング。

1月22日(木)
ラーメン食べ歩きの際には、日ごとに全く違うエリアを散発的に攻略するよりもニスを重ね塗りするように同じエリアを連日にわたって集中的に攻略する方が効率が高い。この日の私の目標は「白河中華そば一番・胤暢番@梅ヶ丘」と「一龍@下北沢」の2軒。つまりは連日、小田急線沿線沿いの店を攻略しようという計画だ。

後者の「一龍」は私が大学生だった頃に、ある程度旨い店として時々雑誌に掲載されたこともあり、よく知っている名前ではあった。しかしながら3年前に本格的な食べ歩きを開始した時には、殆ど話題に上らなかったこともあり、店の存在は知ってはいるが食べに行かなくても良い店として認識していた店のひとつであった。ただ、どういう事情からかこの「一龍」が今回の石神本に掲載されていたのである。確か3年前の石神本には掲載されていなかったはず。「今更どういう風の吹き回しで?」といった感じなのだが、まあ石神本に掲載されているからには食べに行かなければならない。というわけで、この日のターゲットに加えたわけである。

福島白河ラーメンと何の新奇性もない店。ラーメン食べ歩きを行っていると、このような必ずしも食べたいというインセンティブが起こらないような店に行かなければならないという「守りの日」に当たることもあるものだ。私は仕事でラーメンを食べているのであって、好き嫌いでラーメンを食べているわけではない。

「白河中華そば一番・胤暢番」に念のために連絡すると、「今日は店の人が2人も休んでいるから夜8時には店を閉めます」と言う。一方、古豪「一龍」は20:30までの営業だ。ということは18時過ぎには役所を出なければ両方とも食いそびれる可能性があるってわけだ。私はまず営業終了予定時間が早い「一番・胤暢番」を食べてから、小田急線で下北沢に戻り2軒目の店として「一龍」を攻略することに決めた。

「一番・胤暢番」は非常に地元に密着した店で、私以外の客はみな古くからの常連のようだ。この店、実は2002年に白河ラーメンの店としてオープンするまでは、30年間続く駅前の中華料理屋として親しまれており、その頃の名残が今も強く残っているわけだ。焼豚ワンタン麺を注文。

その後下北沢に逆戻りして「一龍」へと向かうも「滑り込みアウト」。「今日はもう、営業は終了しました」と爽やかに断られた。よって、また代替案を探すことになった。

「来来来@三軒茶屋」。ああ、「来来来(「らいらいらい」と読む)」。石神本の最大の謎のひとつともなっている店である。ラーメン本を毎年購入していれば判ることなのだが、大抵のラーメン本は1年ごとに出版される。しかしその1年間で店舗が全く新規に様変わりするわけではない。1年ごとに一部の店が入れ替わるというパターンが原則だ。年ごとに行われる一部の店の新旧店舗の入れ替えが、5年も経てば全く様変わりしているように見えるだけ。例えば石神本で言えば、2000年版には223の店舗が掲載されている。2001年版ではその中の約40店舗が入れ替わり、2002年版では更に約40店舗が入れ替わる。すると、2003年版では2000年版と較べた場合、120店舗のラーメン店舗が入れ替わりを果たしていることになるわけだ。

ごくシンプルに言えば、その年のラーメン本で執筆者がリストアップした店は、彼が「執筆時点においてはこの店は自信を持ってお薦めできる」とお墨付きを与えた店ということになる。時の流れとともに、ある地区においてそれらの掲載店の一部よりも旨い店が登場すれば、ここに新旧店舗の入れ替わりという現象が生じるわけだ。入れ替わりで本から落とされた店は、執筆者が「この店の味は時の流れとともに相対的に低下した」か、「この店の味は当該店舗の掲載時点以降にオープンした新規店のレベルよりも相対的に下である」と判断された店である。

この原則に従えば、普通は前回出版されたラーメン本に掲載されていなかった古豪店(正確に言えば前回出版されたラーメン本の執筆時点で既に存在しており、味も確立されていた店)がその次のラーメン本で突如として登場するような事態は「ほぼありえない」と断じて構わない。

先程、私が「一龍@下北沢」の突然の掲載を訝った理由もそこのところにある。世田谷区は東京23区の中でも決して水準が低いエリアではない。新しい店も続々とオープンしている。そのような背景の中で「どうして今更」というわけだ。「来来来@三軒茶屋」の話に戻れば、実はこの店、ラーメン屋ではなく、長崎チャンポンの店なのである。にもかかわらず、石神本においては、かなり前のバージョンから粘り強く掲載され続けているのだ。私の食べ歩きのバイブルであった「石神本2000」でも当然掲載されていたし、今回の「石神本2003~2004」にも掲載されている。

長崎チャンポンをラーメンのカテゴリーに入れるかどうかについては論者によって見解が分かれるところだ。ラーメンと非ラーメンの境界線をどこに引くかという問題にも繋がってくる。焼きそばをラーメンだと強弁する人はいないだろう。しかし、油そばはラーメンの一種だと考えられている。じゃあ、チャンポンは?とにかくこのようなハンディキャップを背負いながら、しかも激戦区世田谷で3年間も石神本に掲載され続けている「来来来」は私にとって最大のミステリーのひとつであったわけだ。

3年前はついに食べに行かなかった「石神本2000」で最大のタブーとされていた「タイ国ラーメンティーヌン」のトムヤンクンラーメンと「来来来」の長崎チャンポン。しかし機は熟した。勇気を振り絞って食べに行かなければならぬ。感想は食べた後でも遅くはないではないか。

というわけで下北沢でタクシーを拾い一路三軒茶屋へ。3年来の宿題店だったとも言える「来来来」で長崎チャンポンを食べた。この店のチャンポンは予想以上に味が良く、本場の長崎で食べた有名店のチャンポンよりもずっと旨かった。随分摂取していなかった野菜まで沢山食べることができて、また別の意味の満足感も大きかった。

1月23日(金)
「石神本2003」で残された東京23区内の未食店は昨日現在で7店舗となっている。この時点まで未食のまま残っているということは、それぞれの店ごとにそれなりの事情がある訳である。その理由とは、(1)夜の部営業なし、昼の部営業のみの難食店、(2)物理的にアクセスが困難な店などが挙げられる。その中では漠然と「らーめんえにし@戸越銀座」辺りが一番アクセスが容易だとは考えていた。戸越銀座なら五反田から東急池上線で2駅の距離だし、「えにし」は1月15日に恵比寿から戸越銀座に移転したばかりの店だから、フリークの溜まり場になってはいても、まだ一般人からは認知されていない可能性が高い。

18時過ぎに「えにし」に連絡を入れ営業時間を確認すると「大丈夫ですよ。夜10時までやってます」という。「店に向かうのは夜の8時過ぎになるかも知れないですけど、スープ切れなどは大丈夫でしょうか」と重ねて訊くと「大丈夫ですよ!」という自信に満ちた返事があった。

これならばフラれることはない。そう確信した私は18時20分にそそくさと役所を出た後、営団南北線で目黒駅に出て、目黒駅から山手線に乗り換え五反田駅を経由し、東急池上線で戸越銀座に向かった。「えにし」には19時過ぎに到着。先客は初老の夫婦がひと組、私が入店してから食べ終わるまでの間に入ってきた客もたったのひとりと、まだフリーク以外からは認知されていないようだ。このような状況であれば、急がず余裕を持って麺を啜ることができる。順番を待っている人もいないのだから。ゆっくりと醤油たまごらーめんの大盛りの味を噛み締め、大きな満足感とともに店を後にした。

戸越銀座は都営浅草線の戸越駅からも近い。その事実に着目した私は、次の目的地を「醤屋@馬込」に定め、久しぶりに「黒」でも食べてみようかなと都営浅草線に乗って馬込へと向かった。が、環七を少し歩いて店に着くと、な、なんと、2月2日まで休業しているというではないか。であれば、次の選択肢を考えなければ。何度も繰り返すようであるが、金曜日の夜にラーメンを1杯しか食べないことは、これすなわちラーメン道に生きる者にとっては痛恨の痛手と認識すべきである。「らーめんえにし」をクリアしたことで気分は非常に高揚していたが、そのままもう一杯食べずに帰宅することは、長期的な展望を持たない愚か者の所業である。

都営浅草線沿線の石神本掲載店で私がクリアしていない店、そして馬込付近。となれば指しているのはあの店しかない。そう「メンタツ@高輪台」である。馬込駅から取り急ぎ「メンタツ」に営業しているかどうかの確認の連絡を入れる。すると今日の営業はもう終了してしまったが、明日の午前中ならば営業していることが確認された。前回のことがあるから、今回は明確に2度確認した。どうやら大丈夫なようだ。メンタツは明日食べに行こう。

ではどこに行こうか。少し考えた末思いついたのが「つしま@浅草」である。この店、「田中商店@梅島」の第2号店としてこの度オープンしたばかりの新店で、「田中商店」のトンコツスープ製造技術を活かしながらも、魚介の風味を濃厚に打ち出した和風スープのラーメンを供する店として、フリークの間ではつとに注目度の高い店である。

都営浅草線に延々と乗車し、浅草駅で下車。時刻は21時前。22時までの営業だったから何とか間に合った。中華そばを玉子入りで注文。今日は調子がいい。1軒目の「えにし」と2軒目の「つしま」。ダブルで完食してなお余裕がある。

1月24日(土)
この日は夕方から神戸で所用があり、2時前には東京を発たなければならなかった。よって私は、昨晩の状況確認の連絡で本日の第一ターゲットに決めた「メンタツ@高輪台」を攻略してから品川駅に向かい、そこから神戸に向かうとの方針を定めた。そういう意味においては、東海道新幹線品川駅の開業は非常に有難い。わざわざ東京駅に戻らなくとも良くなったのだから。

12時過ぎに待望の「メンタツ」に到着。3度目の正直ならぬ、4度目の正直。営業している「メンタツ」を見ただけでも感動が込み上げてくる。あまりにも嬉しかったので奮発して「ちゃーしゅーめん」を注文。加えてライスまで頼んでしまった。高輪台という土地柄からか、上品でラーメンなど食べそうもないような貴婦人までがカウンターに座ってラーメンを啜っている。しみじみと情緒深い光景だ。

その後、神戸に向かいその日の夕食は、非ラーメン。ラーメン以外の物を食事としたのは、何日ぶりなのだろうか。

1月25日(日)
朝から夕方まで用事があり、ラーメンは一食に留まった。その一食は、迷った末に、関西在住の親友Nから実食報告を頼まれているラーメン屋のひとつである「河童ラーメン本舗」。この店は大阪ミナミの千日前にもあるのだが、同じ店が新大阪にもあり、その日中に新幹線で帰京しなければならない私にとっては常に便利な店だったのだ。ラーメンに味付煮卵をトッピングして一気に胃の中に注ぎ込んだ。

1月26日(月)
先日フラれてしまった「中華そば一龍@下北沢」に再トライ。あらかじめ営業時間を確認し、19:30までなら大丈夫だと思うという店主の言葉を頼りに現地へと駆け付ける。カウンター12席程度のベーシックな作りのお店。先客は3名。後客も3、4名だったが、顔ぶれを見るとどうやら地元に住む主婦や学生が多いようだ。

中華そばを大盛りで注文したが、予想以上に分量が多くて戸惑う。並盛りと分量が全く違う。幸いにもスープが飲みやすいテイストのものだったので何とか完食したが、今日はここまでか。「無理はしないでおこう」と観念し、京王井の頭線で渋谷に向かい、新木場の自宅へと向かう切符を買ったが途中で気が変わり恵比寿で下車することにした。理由は、下北沢から恵比寿に向かっている途中で腹がこなれ、2軒目も何とかなりそうだと判断したことと、昨日、一昨日の2日間に2軒しか行っていなかったこと。土・日の2日間で2杯しか食べていないことは、これすなわち、大いなるビハインドと認識すべきである。

恵比寿にある「つけそばぢゃぶ屋」へ。「ぢゃぶ屋」は「まっち棒」がつけ麺専門店としてオープンさせた店であり、上馬に本店がある。恵比寿店は「ぢゃぶ屋」唯一の支店であり、「AFURI」の斜め前にひっそりと佇んでいる。

醤油つけ麺の「あつ」を「味付玉子」「豚しゃぶ」入りでオーダー。「一龍」の大盛りが殊の外響いていたのか、食べている途中で完全なグロッキー状態に陥る。生憎、食べている人間は私ひとりだったので、店員の注目を集めているようで非常に心苦しい。根性で何とか食べきったが、ちょっと立っていられないような状況になった。すぐに帰宅。

1月27日(火)
体調がかなり悪化しつつある。もしかすると風邪を引いたのかも知れない。今日はあっさりしたラーメンでも食べて体調の回復を図ろうと考えた私は、退庁後「CHABUYAJAPANSIORAHMENBRANCH@護国寺」に向かうことを決めた。この店は「柳麺ちゃぶ屋」が去年の7月にオープンさせた塩ラーメン専門店。雑誌やTV番組でもしばしば採り上げられる人気店であるが、平日の夜は行列も結構短めであり狙い目である。

ちゃーしゅーめんを注文。スープの上には、青ネギ、白ネギ、焦がしネギの3種類のネギが載り、見た目も鮮やかである上に、スープにも極めてよく調和している。赤唐辛子がスープをピリリと引き締める。中心部がわずかに半熟となっている玉子は、味が染み込んでいて極めて旨く、チャーシューの味、煮込み具合も申し分ない。体調不良であったにもかかわらず、ペロリと完食。

その後2軒目に行こうかどうか散々迷った末、飯田橋駅で飛び降りて「ひらを」へ。こちらも派手さこそないがしみじみと美味いラーメン。完食。この日の体調でダブ完できるとは思ってもいなかった。私もまだまだ捨てたものじゃない。

1月28日(水)
「私もまだまだ捨てたものじゃない」などと暢気に考えていたのだが、前日の夜半から寒気や体の怠さがいよいよ本格化し、この日は急遽休暇を取得する羽目と相成った。

このような日には栄養価の高いラーメンでも食べて元気をつけるに限る。昼前に営団東西線の東陽町駅に向かったことをキッカケに「麺彩房@新井薬師」にでも行こうかと考え、11時30分の開店直後に満を持して入店。ちゃーしゅーそばの大盛りを注文。この店、麺の量によってらーめんは大盛と普通の2種類、つけそばは大盛、中盛、普通の3種類があるが、いずれも同額で食べることができるのがうれしい。つけそばに至っては、大盛は400gと、普通盛(200g)の2倍の分量がある。よって客は皆、大盛りを頼むことになるわけで、麺切れ終了が異常に早い。

その後、高田馬場の「俺の空」に向かうが、100m先からでも判るような長蛇の列に度肝を抜かれる。60人以上はいるだろう。間違いなく都内でも1、2を争う行列の長さである。それでも「俺の空」は12時に開店したばかり。13時前に到着したのだから大丈夫だろうと高を括って行列に加わり30分ほど待っていたら、突如として店員が現れ「本日はスープ切れです」と淡々と私に告げやがった。「そんなことなら早めに言わんかい!オレは30分も待ったんやで!ラーメン課長をナメるなよ」とキレそうになるが、何とか自分を抑えてその場を立ち去る。

行列店に一言。スープが切れたなら切れたで、なるべく早めにそれを告げるのが客に対する最低限の配慮なのではなかろうか。「俺の空」で30分の時間を空費してしまった結果、時刻は既に13時30分を過ぎている。このタイミングでは大抵のラーメン屋の昼の部にはもはや間に合わない。完全に予定が狂ってしまった。次の目的店であった「がんこ総本家」の昼の部営業は14時まで。急ぎ足で早稲田まで歩く。結果オーライで、何とかギリギリ駆け込みセーフ。

1月29日(木)
夜に所用があったため麺休日と相成った。

1月30日(金)
上野界隈における最大の目玉店である「麺屋武蔵武骨」を攻略することに決める。「麺屋武蔵武骨」は「麺屋武蔵@新宿」が「武蔵青山@青山一丁目」「二天@池袋」に続く4店目としてオープンさせた新店。これまでの醤油魚介ではなく、豚骨魚介をベースにしたスープを使うことで話題となっている店だ。

退庁後、いつものように店に電話を入れると「本日は20時くらいまでなら大丈夫ですよ」と言う。このタイミングであれば、何とか間に合いそうだ。タクシーを飛ばして上野広小路へと向かう。19時30分前に到着したが、行列は20名強程度か。「武骨」はオープンしたばかりの新店なのに、どこで情報を入手するのであろうか。40分程度の行列待ちの末に入店。玉子入りの「白」と「武骨飯」をいただく。結構マイルドなスープで魚介のクセもなく食べやすい。ちゃーしゅーは角煮のような煮豚。

その後腹の調子を整えてから「いなせなや@上野」に向かう。店の外観が完璧にヤバめであり、入ろうかどうかしばし逡巡するが、思い切って店内に飛び込む。こちらも豚骨魚介。しかもかなり魚介の風味を前面に押し出したつくりとなっている。何とか食べきったが、こうも豚骨魚介ばかりを食べ続けていると、いくら私であっても気分が悪くなってくる。考えてみれば3日前の「ひらを」、一昨日の「麺彩房」、今日の「麺屋武蔵武骨」など、どれもこれも魚介類に重点を置いたスープばかりである。最近の首都圏のラーメン屋は魚介類を使った店が多すぎるのではないだろうか。

1月31日(土)
この日は「俺の空」のリベンジと板橋区西台の「欣家」の攻略に充てることにした。「俺の空」については先日、13時に現地に着いて敢えなく振られてしまったという反省から、今回は朝の10時過ぎには新木場の自宅を出発し、11時10分にはJR高田馬場駅に到着。12時の開店よりもまだ1時間近くも早い時間なので、殆ど誰も並んでいないだろう、まだであれば近くの喫茶店などで時間を潰してから向かえばいいかと考え、いやいやそうは言っても、念のために状況だけは確認しておこうと現地に向かったら、既に50人以上の行列ができているではないか。これは悠長に喫茶店などで開店を待っていては洒落にならないと確信して直ちに行列の後ろに加わった。

10分後に店の人間が青い札を配る。これがないと食べることができないらしい。一種の整理券のようなものだ。なんと、私が行列に加わってから2~30分後に本日のスープが切れるとのことで、打ち切られてしまった。つまりは店が開く前に本日分が捌けてしまったということになる。信じがたいことではあるが、つまりはこういうことである。店の評判が高まり、行列が延びていく内に、なるべく行列に並ばずに早めに食べたいという願望が高じて、どんどん人が行列に並ぶ時間が前倒しになってくる。そのような状況が続く内に、ついには開店前に人が殺到するようになり、「開店と同時に売り切れる」といった事態が勃発するわけだ。

ただ、これは飽くまでも理論の上でのおハナシであって、実際にこのような現象が生じることは稀、というか殆ど滅多にない。このような事態が続けば、普通、店側は作るスープの量を増やして提供できるラーメンの数を増強するなどの措置を講じるべきだろう。ところが「俺の空」はそれをしない。そのような店側の姿勢には疑問を感じざるを得ない。

今回は開店50分前に行列に加わった甲斐もあって、何とか整理券をゲットすることができた。これでやっと「俺の空」のラーメンが食える。が、ここでもう一言コメントを差し挟むことをお許し願いたいのだが、せめて整理券に番号でも付けるなりして、自分の順番になるまでの間は自由に行動できるようなシステムにすべきなのではないか。その代わり自分の順番になっても自分がその場にいなければパス、ラーメンはお預けということでも構わないじゃないか。

私が実際にラーメンにあり付けたのは14:15。何と、行列に並んでから実際にラーメンを食べるまでに3時間もの時間がかかったのだが、3時間も無意味にラーメン屋の前に並ばされていたのではたまったものじゃない。1日がかりじゃないか。非常な辛口になるが更に言えば、あの線路沿いに行列を並べるというスタイルは、あまりにも見え透いた手口であり、見苦しい。特に「俺の空」の場合は、JR高田馬場の駅前の線路沿いに行列が並んでいるという具合になっているから、いつまで経っても行列の数が衰えない。電車の中や駅からあの行列を見かけた人が、やがて行列の一員になるという仕組みである。

「俺の空」はもう少し席数を増やすか、それが無理であれば、作るラーメンの数を増やすべきだと思うし、それすら無理なのであれば、整理券に番号を付すなどして行列を忍ぶ客の苦痛を少しでも和らげる努力を怠るべきではない。開店直後の閑古鳥が鳴いていた時の記憶がいくら恐ろしいものであったとしても、無理矢理に行列を作るようなシステムを当たり前と考えるべきではないと思う。

ということで「俺の空」で3時間の苦痛に耐えた私は、その後急激に体調を悪化させ、今日はこれで打ち止めにしようかとも考えたが、根性を振り絞ってJR巣鴨駅から都営三田線に乗り換え、西台の「欣家」に向かった。「欣家」は地元の高校生や家族連れなどが連れ立って食べに来るアットホームな店。近頃では珍しいアッサリとマイルドなつけ汁が旨い。

この「欣家」の攻略をもって、「石神本2003~2004」掲載の東京23区内のラーメン屋は全て既食ということになった。1月中に何とかクリアできて嬉しい。

2月1日(日)
前日「俺の空」で3時間にわたる寒空の下での行列待ちに耐え忍んだためか非常に体調が悪く、腹痛と頭痛がひどい。いやそれだけならばまだしも特に吐き気がひどい。

今日の第一希望は池袋要町にオープンした「ラーメン二郎赤羽店(2002年より「ラーメン○二郎」に店名変更)」の2号店であったが、この日のコンディションでは到底完食は覚束ないだろうとの判断を下し、同じ二郎系ではあるが比較的テイストがマイルドだとも言われている「らーめん辰屋@松陰神社前」に向かうことにした。

これから先しばらくは「石神本」を使わず、様々なツールを駆使しながら主だった店を食べ歩くという作業を地道に行っていくことになる。必要な情報と不必要な情報とを選別する能力、自らの経験や勘に基づき旨い店を探知する能力が求められてくるわけだ。またそれこそが本来のラーメン道であるとも言えるだろう。

「らーめん辰屋」は、世田谷界隈における二郎系の穴場店とも言われている店であり、二郎独特の男性的な持ち味を遺憾なく残しつつも、創意工夫により独自の改良を加えたラーメンを食べさせる優良店である。夕刻過ぎに三軒茶屋まで向かい、そこで東急世田谷線に乗り換え、夜の部の開店まで松陰神社前駅前のカフェで時間を潰してから、現地に向かった。コンディションは絶不調であったが何とか完食し、この日はそのまま帰宅した。

2月2日(月)
体調は相変わらず悪く完治にはほど遠い状況であったが、症状は昨日よりは幾分マシ。前回の自由が丘行の際に積み残しとして残されていた「せたが屋」のコンセプト・チェンジである「大大」を中心に、あと一軒ほど付近のアッサリ系の店を回れればいいかなという感じだったのだが、おあつらえ向きの店を発見。「鮎ラーメン@二子玉川」である。「鮎ラーメン」の開店時間は21時からなので、「大大@自由が丘」を回った後にゆっくり向かえば十分に間に合う。

ということで、退社後「大大」に向かい「豚玉そば」とカレーを食べた後、「鮎ラーメン」で「鮎丸ゴトラーメン」を玉子入りで食べた。「鮎ラーメン」だけあって隣のカップル客の女性が著しくあゆ似。まあしかしこれはさすがに偶然であろう。一応ダブルで完食したが、一杯一杯。まだまだ本調子ではないようだ。

2月3日(火)
仕事後、夕方から所用があったため麺休。

2月4日(水)
体調が随分回復したので多少の冒険はできそうだ。退庁後、中目黒に向かい、渡辺樹庵プロデュースの新店「中華蕎麦ぷかぷか」で塩ラーメンをいただく。癖のない端麗な塩スープの上に焦がしネギが載せられており、極めて美味。

この店、まだまだマスコミや雑誌への露出が少ないためか、現在のところ全く何の障害もなく簡単にラーメンを食することができる。ちなみに私が向かった19時30分過ぎの状況は、先客なし、後客はたったの1人と非常に優雅な状態であった。中目黒駅のすぐそばという立地の便もあり、一度ブレイクすれば行列は必至であると思われる。食べに行くのであれば今がチャンスであろう。

「ぷかぷか」で塩ラーメン完食後、余勢を駆って2度目の「八雲」来訪。肉ワンタン麺を食する。ここの肉ワンタンは相変わらず具がぎっしり詰まっており旨かった。実はこの店の名物は、どちらかと言えば「蝦ワンタン」であり「肉ワンタン」ではないのだが、私はどうも蝦が苦手であり、肉ワンタンばかりをオーダーしてしまう。まあ肉ワンタン麺の方が蝦ワンタン麺よりも200円もお得なのでいいか。

2月5日(木)
この日は池袋。昨日の「ぷかぷか」と同じく渡辺樹庵氏がプロデュースした店である「瞠(みはる)」に向かう。こちらは「渡なべ@高田馬場」にも似たラーメンとつけ麺を提供する新店であり、池袋の外れに位置しているにもかかわらず、客の入りはすこぶる良い。「味玉つけ麺」を注文。魚介の味を前面に押し出した攻撃的なつけダレは脂分も満点であり、極めてオリジナリティに富んでいる。平太麺とつけダレの絡みも申し分なかったが、麺に独自の主張がありすぎて必ずしもバランスが良いとまでは言えない。

その後「七人の侍」に向かおうとも考えたが、営業しているかどうか微妙な時間帯だったので止めておいた。そのまま帰宅。それにしても、渡辺氏はいったいいくつのラーメン屋をプロデュースしているのだろうか。

2月6日(金)
前日のラーメン行を一軒に抑えたためか、体調もかなり回復してきた。待ってましたとばかりに1日に体調不良のために断念した宿題店である「ラーメン○二郎2号店@要町」へと向かう。この店。最寄り駅は要町なのだが、実際はかなり歩く。番地が豊島区から板橋区に変わり不安が募るが、それでもまっすぐに山手通りを北上していくとやがて右手に環七スタイルの店舗が見えてくる。それが「ラーメン○二郎2号店」である。

「らーめん」に「国産ニンニク(100円)」をトッピングし、その後供される直前の無料トッピングにおいて「ニンニクと生卵」をオーダーした。この日の○二郎のラーメンは、○二郎にしては比較的穏やかな分量であり、ペロリと平らげることができた。本店同様、猛々しくも極めて旨いラーメンである。

2月7日(土)
池袋にてラーメン食べ歩き。1軒目は「らー麺の創造 つけ麺岡崎」。長い店名だがこれが正式名称である。午後から六本木で所用があったため、11時30分の開店直後に入店し、「白(塩つけ麺)」をオーダーする。この店。ラーメン・フリークの間では有名な話なのだが、平日の夜は「音痴貴族」というパブに様変わりし、ラーメン屋ではなくなってしまう。平日の昼と土日だけ「つけ麺岡崎」としてつけ麺を提供し、それ以外の時間はあくまでもパブ「音痴貴族」なのである。それはともかくとして、ここの「白つけ麺」は極めて旨かった。つけダレがつけダレ然としていないところが特に良い。

昼から夕方にかけて六本木にて所用を済ませた後、夕方から再度池袋に復帰し、学生H等と合流。学生Hは、去る1月17日に「じゃんず」でラーメンを共にして以来の付き添いとなる。学生H等に刺激的な経験を味わっていただくために、前日に引き続き2回目の「ラーメン○二郎2号店」行きを決意。今回は、「豚入りらーめん」に無料トッピングで「ニンニク・野菜・脂・生卵」をオーダーしたら、極めて凶暴なラーメンが出てきて肝を冷やす。苦悶の末、何とかスープ以外は食べ切ったが、その日の夜はひたすら体調不良に苦しんだ。

2月8日(日)
昨日の夜の無理食いが祟り絶不調かと思いきや、案外体調は良好であり、むしろ「○二郎」2連食のたまものなのか胃袋が拡張し、昼過ぎには空腹感を抱くに到った。

大森の注目店である「秋葉家」に向かう。「秋葉家」は、スープ、麺、具のすべてを炭焼きにより調理するコダワリの店であり、男性客よりもむしろ女性客に人気があるという稀有な一店。現地に到着してみれば、さもありなん。石畳がぎっしりと敷き詰められ、炭焼きの炭の芳香が漂う店内は、まるで寺社仏閣に迷い込んだような趣だ。和風らぁめんをオーダーし一気に完食。丁寧な戻しが為されたメンマや炭焼きでじっくりと焙ったものと思しきチャーシューが美味。

その後お台場に立ち寄り、久方ぶりに「ちばき屋」のラーメンを堪能すべく、「ちばき屋お台場店」へと向かう。ちなみに、「ちばき屋」は葛西の名店中の名店であり、ラーメン屋において初めて半熟温泉玉子を提供したパイオニアとして名高い。ワンタン麺にその味付玉子をトッピングしてオーダーしたが、「ちばき屋」ってこんなに旨かったっけ。メチャクチャ旨いじゃないか。当然のごとく完食してしまったが、「○二郎」で大変な苦悶を味わった翌日にこの体たらくなんだから、懲りないヤツだなと言われてしまえば返す言葉もありません。

2月9日(月)
中目黒において未食で残っていた最後の一店である「框堂(かまちどう)」へと向かう。「框堂」は、ラーメン以外の多種多様なメニューも取り扱う子洒落た居酒屋のような店であるが、ラーメンにも手抜きはなく、塩、醤油、味噌の3種類を「海出汁」「山出汁」の2種類のダシベースで提供するという驚異的な店である。簡単に言えば、3×2の6種類のラーメンを基本メニューとして提供しているということだ。

私は、その中でもデフォルトかと思われる「海出汁」の「塩ラーメン」を「オーガニックカレー」と共にオーダーした。この店、「塩ラーメン」もそこそこ旨いが、「オーガニックカレー」がものすごく旨い。これ程までに旨いカレーを食べたのは久しぶりだったので、本当に感動してしまった。スタッフに訊いたところ、この店、カレーの旨さにも定評があるそうである。カレー好きの方は是非、足を運んでみてはいかがだろうか。

2月10日(火)
役所退庁後、池袋に直行する。最近の平日は池袋方面に向かうことが癖付いているようだ。というのも、池袋界隈は、職場がある永田町から営団有楽町線1本でアクセスできるので、実は極めてアクセスが容易だからなのだ。

この日のターゲットは東池袋二丁目の「七人の侍」。中華そば、つけそばともに店主が毎日でも食
べたいと思うようなものしか提供せず、メニューも、中華そばとつけそば、そしてそれぞれの「特製(+250円)」の4種類のみという少数精鋭型の営業展開を行っている。春日通りから細い路地を折れるので場所は極めて判りづらいが、それでも客の出入りが絶えない実力は注目に値する。

ここでは、特製つけそばをいただいた。4枚のチャーシューを温めたまま別皿で出すなど、客に美味しく食べていただくためのこだわりが嬉しい。この店、「青葉」似との評判が高いが、つけそばに限って言えば、むしろ「東池袋大勝軒」に似ているのではないか。

2月11日(水)
建国記念日。夜まで仕事がある平日は近場の未食店を訪れ、休日は、平日では攻略がややムリ目な店舗を訪れるというのが、これからの食べ歩きのパターンになりそうだ。よってこの日は昼までで麺切れ終了してしまう難食店との噂が高い「稲荷@経堂」と高円寺の「田ぶし」を目指して、まずは経堂で下車。朝早めに自宅を出たことが効を奏したのか、正午過ぎには「稲荷」に到着。行列は5人。20分待ち。看板メニューであるつけめん(270g)に味付地玉子をトッピングしてオーダー。超絶的な旨さ。270gの麺量をこれ程までに物足りなく感じたことは未だかってない体験。あと100gや200g増量されたとしても全く何の苦もなくペロリといけそうだ。大盛りにしてもらえば良かったとの後悔の念に駆られつつ経堂を後にした。

「稲荷」の興奮が冷め止まぬまま、小田急線新宿駅からそのまま中央線に乗り換え、高円寺へ。「田ぶし」へと向かう。椅子がクッションになっていて心地よい。超絶的名店「稲荷」の後だから、いささかの物足りなさを感じてしまったが、これはこれで旨いラーメンだとは思った。

2月12日(木)
退庁後、池袋に直行。サンマをダシに使った新店「生粋」へと向かう。この界隈、風俗店が多いので、夜に男性が1人で歩いていると色々とお声がかかるが、相手にせずにトコトコと歩いていくと、ほどなく店舗に到着する。駅前からのアクセスも比較的至便だから、池袋における貴重な戦力となるだろう。ちなみに、サンマをダシに使っている店と言えば「麺屋武蔵」が思い浮かぶが、この店のラーメンは、それよりもややスープの味が淡泊であっさりしている。地味ではあるが、なかなか旨いラーメンを出す良心的な店だと思う。いぶし銀の魅力を放つ店。

2月13日(金)
この日も退庁後、池袋方面へと向かったが、金曜日ということもあって「2軒連食」を念頭に置いたローテーションを組んだ。一軒目は東長崎の「オリオン食堂」に定め、二軒目として池袋に引き返し、新店「俺の出番」にでも行こうかなと考えていたのだが、最初の「オリオン食堂」で敢えなく撃沈。いや何も振られたわけではなく、無事に入店することはできたのだが、ラーメンのスープが見事なほどに煮干し・煮干し・煮干し。とにかく、ただただ煮干しの味しかしないラーメンを前に私はただ呆然とするほか術がなく、這々の体で店を後にしたというわけだ。いやあ本当に参った。この店、ラーメン一杯が490円とワンコインでお釣りが来る。そのコストパフォーマンスの高さには敬意を表さないでもないが、私としては旨くないラーメンを490円でいただくよりも、たとえ700円出したとしても旨いラーメンを食べる道を選びたい。

その後気分が悪くなり、「俺の出番」には寄らずにそのまま直帰。

2月14日(土)
この日はバレンタインデー。とはいえラーメン課の長である私にとって、恋人は唯一ラーメンだけなのであるから、この日もこのような世間の事情なんぞは一切無視して、恋人に逢いに行くかのようにラーメンを食べに行くことが当然の習わしであろう。ただし、そうは言っても、この日オトコ単身で都心へと乗り込むのにはさすがに躊躇いがあったため、急遽、千葉方面へと足を延ばし、人もまばらな優雅な状況の中、心煩わされずにラーメンを食べようと考えた。

昼過ぎまで自宅で沈思黙考した末に選んだのが「パーコーラーメン風(ふう)」と「蓬莱軒」。とりわけ「パーコーラーメン風」の「荒塩清湯パーコーメン」は評判も上々であることが確認されたため、「風」を第1ターゲットと定め、午後3時過ぎに京葉線に乗り込んだ。が、事前の予想よりも遙かに遠い。これはもうマジで遠い。まず舞浜で蘇我行きの快速電車に乗り換え、南船橋で府中本町行きの武蔵野線に乗り換え。ようやく西船橋に着いたと思いきや、そこから更に総武線に乗り換えて、4時30分前にようやく現地に到着した。

西千葉駅は、いかにも郊外だといった風情が漂う長閑な学園都市。駅前に広大な千葉大学のキャンパスを擁し、何とも平和な雰囲気だ。「パーコーラーメン風」は、その西千葉駅から歩いてすぐのところにある陸橋の袂に佇んでいる。千葉大のキャンパスからは目と鼻の先。

当初からの予定通り「荒塩清湯パーコーメン」をオーダー。オーダーを受けてから店主が一個一個手作りで揚げるパーコーの香ばしさが堪らない。もちろん言うまでもなく、具のパーコーは極めて美味。しかしただそればかりではなく、本体の塩らーめんの方も相当にハイ・グレードな逸品であり、遠路はるばるこの店までやってきたことを決して後悔させることのない出来映えに満足した。

引き続き、2軒目のターゲットである「蓬莱軒」へ向かう。西千葉から2駅ほど戻った新検見川駅で下車し、寂しい駅前の賑わいを過ぎれば、ほどなく静かな公園(花園公園)に出る。その公園に面した通り沿いにある何の変哲もなさそうな一軒のラーメン屋が「蓬莱軒」である。5時20分に現地に到着してしまったため、5時30分の開店までまだ時間がある。吹き荒ぶ風の中、公園のベンチでポツネンと開店を待つ。

駅まで引き返しトイレを済ませた後、公園に引き返すと店に灯りが点っている。どうやら夜の部が始まったようだ。ラーメンとライスをオーダー。この店は関東屈指の新潟ラーメンの名店であるが、なる程、煮干しを利かせたアッサリ味のスープは典型的な新潟ラーメンの面持ち。3年前に食べた「おもだかや@神保町」の味を思い出し、少し懐かしくなってしまった。が、実は私は新潟ラーメンそのものが、あまり好みではないのだ。取り立てて旨いとも感じることなく、スープを1/3程残して店を後にした。そのまま帰宅。